バレー1  バレー ブロック  バレー2

 九中 がんバレー VS 六中(写真1)

白熱の攻防(写真2)

 九ちゃん 力は出した!(写真3)  

 男子バレー 排球 はい!九ちゃん!

 男子バレー部です。いよいよ3年生にとっては最後の試合となる豊中総体Aが、千里体育館で、8月1日におこなわれました。上位2校に残れば、サントリー箕面トレーニングセンターでおこなわれるサントリーカップへの道が開かれる大会です。 

 バレーボールの歴史Ⅱ 今の全日本男子は、世界ではなかなか勝てない状況が続いているが、大きく輝いた時代があった。1972年のミュンヘンオリンピックである。オリンピックで金メダルをとるのだ!とバレーに取り組む全日本メンバーの様子を、アニメーションと実写映像を使って放送したのがオリンピック前に放映された「ミュンヘンへの道」である。当時バレーをしていた中学生達は皆見てた。私も。でも、金は無理だろうな。だが、松平監督の練習はユニークで真剣で本気だった!ある時、逆立ちをして9メートル以上歩けるようにさせる練習をした。松平監督は「逆立ちで9メートル以上歩けるようにならなければ、オリンピックに行かせない」。選手は、なかなかできず、そのひたむきな努力に感激した人も多かった。松平監督は、AやらBやらの速攻、移動、時間差などといったバレーボールの攻撃システムの基礎を築き上げ、日本にしかできない攻めで世界をあらった!席巻(せっけん)したのだ。で、ミュンヘンでは、本当に金メダル!有言実行!バレーボールは、日本のお家芸となったのである(ウィクペディア参照)。※席巻 はげしい勢いで、自分の勢力範囲をひろげること。

 リーグ戦へ いつか「日本のお家芸」復活のため、九中男子バレー部は、戦う。対六中戦この1試合が勝負だ(写真1)。九中の3年生は、中学校から始めたものばかり。他校は小学校からはじめている生徒がいる、この差は圧倒的に違う。その差を埋めるべく、3年間練習に取り組んできた。3年の部員は5人、決して大きくもない。活路をみいだすのはレシ-ブだ!あとはサーブ。ジャンピングフローターサーブや、無回転サーブで相手を狙う。

 六中に勝てば、3位という賞状がかかった試合が始まった。過去の対戦では、勝ったり負けたりか。やってみると、やはりほぼ互角の展開だった。先手をとったのは、まず六中!序盤からポイントを重ねた、相手のエースのジャンプ力が凄い。よく跳ぶ。スパイクがコートのはしばしにびしびし刺さる。レシーブカットでくらいつくも、ポイントにつながらない。第1セットを、惜しくも奪われた。第2セットも六中優位。が、このセットを落とせばもう後がない。そく引退が待つ。「悔いの残らない試合をしよう。」顧問が檄をとばす。九中サーブが決まりだした。先に20点を奪ったのは九中!戸島Tがつぶやく。このまま逃げ切れ!25-22で逃げ切った。このまま、3セット目もいくかな。と思ったがバレーは甘くない。3試合目で疲れもピークに達し足が止まった。勝ちを意識したのかサーブレシーブも乱れた。相手の強力なスパイクに後一歩が届かない。強いアタックを九中ブロックがしのぐ!エースをとめた!コート中央に集まり「お!」と気合いが入るも20点は六中が先に到達。20ー17!たまらず、九中ベンチはターイム!「一息ついて、ここから立て直そう」タイムアウト(写真左上)をとった。

 試合再開だ。踏ん張ったが、流れは六中にあった。・・・。流れを切ることができずに惜敗、ベストマッチに間違いない!力は出し切った(写真3)。6人でひらって、つないだ九中バレーをみせることはできた。リベンジは、2年生が引き継いでくれる。

 「ひとりで バレーはできない」by 顧問