学力向上タイトル 「使える社会」・・生糸(きっと)くる 手先動かし 明治維新  

千里 九「生糸は歴史的に重要な商品である。カイコを育てて「まゆ」をとることを養蚕(ようさん)というが、少しかとれなくても、ようさんと言うのは、人口に膾炙している事実である。」

 生糸をつむぐ2

社会2

 生糸をつむぐ3

これが生糸、まゆ(写真1)

これが生糸、まく(写真2)

これが生糸、まだのびる(写真3)

  生糸をつむぐ4~ 研究授業 後編 ~ 

 2月13日、今年10年目の節目を迎える社会科の阿南先生が、研究授業(2年1組)のなかで生糸を紡ぐ体験学習をおこないました(左写真)。

 江戸時代は、リサイクル社会 「親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない」の意味は、なすびの花が咲くとすべて実をつけるように、親が子を思って忠告することは必ず役に立つから親の意見をよく聞け、ということである。九中生にとっては、耳の痛い?話だが、耳鼻科に行く必要はない。阿南Tの話をしっかり聞けばいい。

 江戸時代の農業も無駄がなかった。江戸時代は、リサイクル社会のお手本なのだ。商品作物である菜種からは、油がとれた。今でも、サラダ油に使われている。油をとった後のかすが、油かすとなり農地の肥料になる。麻は、麻糸になり、漁網になる。おーい、いくべと今の千葉県九十九里浜では、地引き網漁がさかんにおこなわれ、鰯(いわし)がいっぱいとれた。鰯も食べるだけではない。商品作物の生産が盛んになったことで、農村では肥料ほしいか、ほしいよと需要が高まった。そこで、鰯である。鰯を干して乾燥させて固めて作った干鰯(ほしか)が注目され、生産が増加していった。干鰯(ほしか)は、海に戻らず土に帰った。綿は、木綿となり紅花や、藍によって染められ、綿織物(三河木綿や河内木綿)となる。桑の葉は、蚕のエサとなり、生糸が紡がれ、西陣織や博多織りとなっていく。これが日本の近代化の礎となっていったことは言うまでもない。

 生糸を紡ぐ カイコがまゆをつくる。まゆは生糸に、生糸は絹になるのである。紀元前200年頃、中国の漢と西国との貿易で、絹は重要な役割を果たした。キラキラ輝く絹の魅力は、中近東へ、ローマへ。この交易ルートが「シルクロード」(絹の道)となったことは有名だし、もう習った。江戸時代になると、中国からの生糸の輸入増加により国内の銅の大半がなくなる。こりゃ、たいへんだと幕府は、中国からの生糸の輸入を減らすため養蚕を奨励し、幕末には国内で自給できるほどまでになった。後に欧米諸国が植民地を広げるなかでも、日本は、工業国としてその地位を守ることができたのは、自分とこで生糸が作れたからに他ならない。阿南Tは、生徒達に生糸の自給による近代日本の歩みを知って欲しかった。そこで、実際に生徒達に蚕のまゆを手に取ってもらう(写真1)。

 まゆを振るとカラカラ音がする(もちろんガのさなぎ)。ぎゃ!という生徒を横目に熱湯にまゆを入れる。火傷をしないように十分に注意し、熱湯に入ったまゆをぐるぐる混ぜるとまゆがほぐれだした。そこを、紡いでいくのである(写真2)。のびーる。のびーる(写真3)。糸巻きまき、糸巻きまき♪上手な生徒は、糸を切らすことなく巻いていく。ひとつのまゆで、1.5kmになるそうだ。糸がキラキラ美しい。熱闘シルクロードである。生糸をつむぐ実体験を通して、江戸時代の農業の発展が、明治維新そして近代日本の礎にもなった歴史的な意義に、ちょっとは触れたかな。

社会の授業と茄子の花は千に一つも無駄はない。 ほんま。