今朝の新聞の福島県からのメッセージに、涙がでました。

「あの日から10年になります。 地震、津波、原発事故は、美しく穏やかだった 私たちのふるさとを一変させました。 大切な人との別れや、見えない放射線との戦いがありました。 避難して仮設校舎に通学した子が成長し、成人を迎えています。他方で いまだ行方不明のまま、 心も体もふるさとに帰れない子がいます。 こうした年月に思いをはせるとき、「もう10年」とも、「まだ10年」とも感じられます。 私たちは原発事故による地域社会の分断、風評被害、差別・偏見と10年にわたって戦ってきました。 そして2021年、世界は目に見えない ウイルスによる禍の中にあります。 自由やぬくもりを奪われ、不安と息苦しさを感じています。10年前と同様に、当たり前が当たり前では無くなり、本当に大事なものは何なのか、改めて考えさせられています。

 

「あの日私たちは、波に飲み込まれていく人々の手を掴み取って救うことができなかった。だから今度は、社会から分断されゆく人々の手を握り締めて、離さないで。みんながもっと自分を、他人を愛せる世界を願っています。そして私自身が、そうでありたい。」(会津学園高校 平子七海さん)

 

私たちは、暗闇の中から一歩ずつ、復興の歩みを進めました。原発事故による避難指示区域は5分の1に縮小され、道路や鉄道が開通し、学校や病院が再開する中で、避難していた人たちも徐々に戻ってきました。 ロボットや再生可能エネルギーの研究拠点ができ、日本酒や果物をはじめとする県産品が高く評価され、誇りを取り戻してきました。 一方で、避難者はいまだ3万人を超えており、当時の傷が癒されず苦しむ人がいます。 復興が進むにつれ地域差がうまれ、さらなる孤独にさいなまれている人もいます。 時間の経過がもたらす風化や関心の低下があります。 そして、廃炉に向けた長い道のりは始まったばかりです。 10年を経て、光と影のコントラストは 強まってきたのが現実です。 それでも、 復興の軌跡の中で強くなれたこと、成長できたこと、結ばれた絆があることも確かです。震災がなければ 出会わなかった方々とのご縁と協働がありました。 県民の皆さん、福島に心を寄せてくださる皆さんのたゆまぬご尽力ご支援に、心から感謝しています。

私たちは未来に向けて、次の10年に踏みだします。 ここにうつくしいふるさとを取り戻し、 活力と笑顔あふれるふくしまを築いていくことを、 改めて誓います。 これから生まれてくる子どもたちにとっても 誇りに思える福島を。

                                         2021年3月11日  福島県 」

  

3月11日校内の もくれんと八重桜「陽光」です。