今日は、午前中にも雨が強く降っていました。熊本では、大雨による災害でたいへんなことになっています。PTA会長から、千里川もけっこう増水しているので下校のときに子どもたちに注意喚起をしてほしいとの要請がありました。以前に他府県で溝にはまって流されたという事案もありました。各クラスで担任より下校のさいには、溝などをさけて安全に帰るように注意喚起しました。赤坂下池公園の池では、柵をこえて池に入っている子どももいるようです。ご家庭でも注意してください。

 千里川の氾濫について、豊中市ホームページで調べてみました。

「千里川の堤防決壊から50 年大雨被害の教訓を生かす」(3年前の記事です。)
 昭和42年(1967)7月7日から9日にかけて大雨が降り続き、千里川の堤防が決壊しました。この大雨により、市は大きな被害を受け、重軽傷者176人、家屋の全壊・流失25戸、半壊41戸、床上浸水4, 308戸、床下浸水19, 932戸でした。当時、被害に遭った箕輪小学校区の人や対応に当たった市の元職員に話を聞きました。 ーまさか千里川が決壊ーこの時は、梅雨前線が近畿地方に停滞し、長雨が続いていました。そこへ台風7号が接近し、梅雨前線を刺激。断続的に雨が降り続き、夕方ごろから一層強くなり大雨警報が出ました。市の下水道部の職員だった木村和夫さん(84歳)は「3日間大雨が続き、市は万が一に備えて、全職員を招集しました。さらには、消防団にも出動を依頼するという緊迫した状況でした。9日の午後7時から午後9時までのわずか2時間に、市で86ミリメートルの激しい雨を観測しました。午後9時ごろにはついに水があふれ出し、玉井町や箕輪、走井、勝部に避難命令を発令するほどの甚大な災害になりました。10日から復旧作業が始まり、自衛隊も出動して堤防と橋桁の修復作業に当たりました」と話します。地域の皆さんは当時の光景をまざまざと思い出します。中倉清さん(82歳)は振り返ります。「決壊した場所は、現在の中自動車教習所(玉井町)のすぐそば。土を積み上げた堤防だったこともあり、以前から雨が降り続くと崩れて危ないのではと思っていました。千里川が増水し箕輪小橋が流され、樋門が破壊。麻田共同墓地の辺りまで堤防が決壊し、箕輪の東側は新たに川ができたと思えるほどの水量が北から南へと流れていきました」。 福田良一さん(68歳)は、当時の千里川の様子を鮮明に覚えています。「印象的だったのは、土手がえぐられて今にも崩れそうな状態だったこと。これは危ないと思い、急いで家に帰りましたが、川はあふれ1階はみるみるうちに水浸しになり、2階に逃れました。翌朝になると家の中の水は引きましたが、たまった泥を出すのが本当に大変でした」。 ー次の世代に伝えたいことー 災害から50年の月日がたとうとしています。3人は声をそろえて、教訓を次の世代に伝えていくことの大切さを語ります。「千里川が氾濫したことを箕輪小学校で話す機会が何度かありました。真剣に聞く子どもたちに、水害の恐ろしさをきちんと伝えなければと感じます」と中倉さん。福田さんも「子どもたちには、川は楽しいだけでなく、怖さや危険もあるところなんだということを知ってほしい」と力を込めて話します。木村さんは「河川改修工事が行われるなど大雨の対策が進みました。しかし、自然の力を甘くみてはいけません。日頃から災害への備えやいざという時の対応を想定しておくことが大切です」と話します。ー水害に備えるための市の取り組みー市は、千里川に大雨による増水状況を知らせる設備を設置。スピーカー放送や回転灯、サイレン、音楽などで近隣住民の皆さんに情報をお伝えしています。河川水位情報については、市ホームページでもご覧になれます。」ということでした。熊本の災害についても注視していきたいと思います。今、「千里川 水位」でインターネットで検索していただくと、河川カメラの画像を見ることができます!