当たり前ですが、私たち教職員は日々子どもたちに授業や指導・支援を行っています。

相手が子どもでも大人でも関係なく、『教える』ということはその教える内容を人一倍熟知しておきたいものです。

たとえば10教えるとすれば、その知識や理論・材料は10ではギリギリなので最低でも12以上はもっておきたいと思っています。

例えば体育なら、若い間(若いという定義は定めません(-_-))は張り切って見本を示すこともできて、論より証拠を体現できることも多いでしょう。

しかし、全盛期(気持ちではなくカラダの方…)を過ぎたとしたら、動画先生を駆使しながら、時には子ども先生を使いながら言葉で適切にポイントを教えることが必要になるでしょう(ノД`)シクシク

しかし×2、子どもたち一人ひとりを能力の限り伸ばすことは、教員として子どもたちを指導する立場に立てば、経験が浅い長いに関係なく、そこは誰もが同じ水準でならなければならないという非常に難しい仕事でもあります。

ということで、不審者対応訓練の予備日の14:30下校を活かして、体育について嶋田先生を中心に校内自主研修を実施しました。

どうすれば45分の体育の時間を充実できるのか、子どもたちが充実する活動や種目はどんなものがあるのか、そして子どもたちが主体的に取り組むための方策とはなどなど、指導者目線に加えて実際児童の活動体験を通して研修しました。

   

一人ひとりの活動量の確保はもちろん、点数板などはコピー機や用紙の箱を使って作成した点数板で点数係を任命するなど、役割を創設することで主体的に活動できる工夫もできます。

私たちは先生であり大人であるので、ある程度のことは子どもたちに教えることが出来ます。しかし×3、それが職業であり仕事である教職員である以上、それだけではとても1年間はもちません。以前、二瓶先生の研修(気まぐれ日記『授業=命』に掲載)にあった『24年間国語を研究し、理想の授業を追い求め続けたけれど辿りつきませんでした…』の言葉通り、【理想の授業】【最高の授業】を探求し続けてもいつそれが実現するのか?わからないからこそ、これからもいつまでもこの職業である限り『学び続ける先生』であり続けたい、そう思う今日この頃です。(人生も学び続けないとなりませんが…)

※『学び続ける先生』はいろいろなところで使っているような気がするので、便宜上(続)とつけています。