夏休みクイズ②

昭和43年(1968年)に高川小学校が豊南小学校から分離して開校する際、

「高川」という名前の他に、実はある名前が候補として挙がっていました。

それは何という名前でしょうか?

 ①天竺小学校  

   天竺川と高川に挟まれているため

 ②豊南北小学校

   豊南小学校の北にできる学校のため

 ③五条小学校

   五条三里という地名にできる学校のため

 

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・・・答え・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

答えは③ 「五条小学校」です!

 

記録によると、昔はこのあたりは

小曽根小学校北を東西に走る吹田街道から

南へ1条、2条・・・・

恐らく天竺川沿いの能勢街道から東へ1里、2里・・・と、京都の町のように碁盤のマス目状に区画整理されていたそうです。

その西から5番目の5条、北から3番目の3里の区画にあるのが高川小学校の場所になるそうです。

だから「五条小学校」が候補に挙がったそうです。

 

ちなみに小曽根小学校の北には「北条小学校」という小学校がありますが、

一条よりも北にあるため、「きたじょう」と名付けられたとも言われているそうです。

 

このような区画整理がされているということは、

たくさんの人やいて、様々な施設やお店があったということなので、

もしかしたら、古くは豊島郡衙(豊島郡の役所)があった場所かもしれませんね。

ある文献には「豊島郡衙の南に摂津国(大阪北部と兵庫の一部にあった今でいう都道府県のような大きい単位)の国衙を作った」とあり、

摂津国衙は大阪市の天満橋付近にあったそうなので、

もしかしたら、もしかして、

十二中校区は、昔は豊中の中心地だったのかもしれませんね。