異文化間コミュニケーション(ボランティア学習)
 本日は1年生のボランティア学習として、国立民族学博物館にお勤めの広瀬先生においでいただきました。

 先生は中学1年生の時に突然目が全く見えなくなったそうです。今まで何気なくできていたこと(歩くことや読み書きなど)が急にできなくなり、歩くと壁にぶつかったり、男女のトイレに間違って入ってしまったり、さらには教科書が読めない、勉強ができない・・・。それからの生活について、経験を交えてお話いただきました。

 中学校からは盲学校に通われ、ここでは小学校まではできなかったスポーツも、走り幅跳びでは踏み切り板から逆算して助走位置を決める、スキー合宿では危険回避の転び方から学ぶなど、いろいろ視点を変えることでスポーツもできるようになったそうです。ただ、勉強については、教科書には点字教科書があったが、参考書や問題集には点字がなかったので苦労され、大学入試では、ボランティアの方に参考書や問題集を点字にしてもらったそうですが、幾種類もの参考書・問題集を選択することはできなかったそうです。しかし、ひとつのものをやりきったことで、勉強が身についたそうです。

 そして入学された京都大学では、昔、目の見えなかった人がどのような生活を送っていたのか、教科書にあまり出てきていなかったので、そのことを研究され、そのひとつとして「源平合戦を語る琵琶法師」の話を紹介していただきました。琵琶法師は語るという武器をもとに自分でできることで勝負し、生きてきたと教えていただきました。

 また、今お勤めの民博では、「博物館見学」というように博物館は「見て学ぶ」のイメージが強いところですが、「触って学ぶ」コーナー作りにチャレンジしているそうです。興福寺仏頭の精巧なレプリカを触ることで、見るだけでは伝わらなかった顔の輪郭や横顔、頭の後ろ、戦乱で焼け落ちたときの傷などが感覚としてよくわかり、より深く理解することにつながる。このようなコーナー作りに取組んでおられます。

 最語に、「ボランティア」は、サポートする人・される人として捉えがちだけれど、たとえば目の見える人は視覚に頼って生活し、目の見えない人は視覚に頼らず、聴覚や触覚、臭覚を使って生活している人と捉え、異文化間コミュニケーションをとるような思いで接していけば良いのではないでしょうかとのことでした。

 聴覚、触覚、臭覚・・・いろいろな感覚を使って生活すると、いままで感じなかった新しい発見がありますよ、とのことでした。