【夏休み特別企画】大池マンとサクラちゃんの夏休み自由研究(地域の歴史探究)~なぜ、昔の大池小学校は真っ黒だったの?~
夏休みに入ったので、大池マンとサクラちゃんは自由研究に取り組むことにしました。
問いを見つける
職員室の横に「大池小学校の校舎の移りかわり」が飾られているけど、一枚だけ真っ黒な校舎。
昔、大池小学校が真っ黒になったのは、何があったんだろう?

予想する
・この頃は戦争中。戦争と関係あるかもしれない。
調べる
今から90年前(1936年)、大池小学校ができたときは白くて大きな校舎。大阪府内で初めての鉄筋コンクリート造り。

昭和20年(1945年)頃の写真は、真っ黒になっている。

戦争が終わった昭和22年(1947年)、昭和23年(1948年)、昭和24年(1949年)の写真も真っ黒。

校舎を真っ黒にしたのは、昭和18年(1943年)。この時は、戦争中で「空襲の時、校舎の白い壁が爆撃の目標にならないようにするため」に黒く塗られたことがわかりました。高学年の子どもたちが習字用の墨をすり、バケツに集め、モップを使い手作業で塗ったことがわかりました。

豊中市立郷土資料館に行ってみると豊中空襲の展示がありました。昭和20年(1945年)6月の空襲は大池校区(本町、千里園)に大きな被害があったことが写真でわかりました。調べてみると、被害を受けた人たちの応急収容所として、大池小学校(当時は大池国民学校)の本館1・2階、講堂が当てられたこや、大池小学校の児童も爆弾で亡くなった児童がいることがわかりました。
他の学校はどうしていたのだろう?と思いました。大阪府立豊中高校 豊陵資料館に戦争中の写真や資料が展示されていると聞いて見学させてもらいました。

豊中高校(当時は豊中中学)も校舎が黒く塗られていました。戦争中にアメリカの戦闘機による爆撃を防ぐために墨でぬられたようですが、校舎の壁や屋上に銃弾が撃ち込まれたことがわかりました。
豊中高校は、戦争が終わっても黒い校舎のままでした。黒い校舎が白い校舎によみがえったのが昭和31年(1956年)。大池小学校も戦争が終わってしばらくは黒い校舎のままで、白い校舎によみがえったのは昭和33年(1958年)でした。戦争が終わってもしばらく黒い校舎で勉強や運動を行っていました。
考察する
なぜ、昔の大池小学校は真っ黒だったのか、調べたことをまとめていきます。
戦争中、黒い校舎になって、子どもたちはどんな気持ちで学校へ来ていたのでしょうか。戦争中、学校は勉強できる場ではありませんでした。運動場も畑となり、防空壕が作られました。平和があるから学ぶことができます。学びは平和の上に成り立ちます。平和な世界をつくるためにできることを自分のことばで書きます。参考文献も忘れずに書きます。
夏休み後半、自由研究の完成をめざしてがんばります!

大池小学校の歴史に光をあて、平和について考える戦後81年の夏です。
