11月 1日 人権・平和教育講演到来 ~「被爆体験」 生のお声を聴いて~
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2016講演後 また「3年後」(写真1) |
伊達さん・高橋さん(写真2) |
被爆関係パネル(写真3) |
10月22日、天皇陛下が「国民の幸せと世界の平和を常に願い・・」とご即位されました。さて九中です。25日の56限は体育館にて、「豊中市原爆被害者の会」会長の高橋正彦さんと相談役の伊達昭夫さんをお招きし、”核兵器の恐ろしさや戦争の悲惨さ”を生の声で伝えていただき、平和について考えました(下写真)。
被爆体験を後世に
絶対に忘れてはならないことがある。日本が唯一の被爆国である事実をだ。今、被爆体験の伝承は「風化の危機」を迎えている。被爆者の平均年齢は80歳を超えた。小中学生を対象にしたある調査によると「教師から原爆の話を聞いたことがある」とした児童・生徒は約3割だった(参考 産経新聞)。だからこそ、今、被爆体験を後世に残していく必要がある。3年前、伊達さんにお話いただいた時の新聞記事である。伊達さんはお話後「また3年後・・・」とおっしゃって学校を後にされた(写真1)。
あれから3年がたった。今回、伊達さんは会長を退かれ現在会長をされている高橋さんと一緒に本校に足を運んでいただいた。事前に被爆関係(長崎 写真2)のパネルを豊中市原爆被害者の会からお借りしてA棟に掲示する(写真3)。伊達さんは、現在87歳。昭和7年長崎市で生まれ満12歳の時に被爆され、お母さんとお姉さんを亡くされている。高橋さんは、現在84歳。満9歳の時に爆心地から4kmのあたりで被爆された。
伊達さんと高橋さんが、ゆっくりゆっくりと登壇された。講演が始まった。長崎の地図が大きく映し出された。円が2つ。高橋さん「ひとつが当初の投下目標で、もう一つが実際に投下された場所です。北側に2kmずれていたので『私』は助かった。半径2km以内は全滅です。家も爆風で振動がすごく、壁やガラスも飛び、びっくりするほどの衝撃でした。」・・・伊達さん「夏が来るたびに思い出します。もう二度と被爆者を生んではいけない。戦争というものは絶対にダメ。広島が最初で長崎が最後の被爆地にして欲しい。心からのお願いです。」みんなには想像する力が一番大事だと知って欲しい。核兵器は想像する力によって生み出された。核兵器をなくすには何をしたらいいか想像を働かせて欲しい。考えて欲しい。尊い命を大切にして欲しい。時はとまらない。静かでよどみのない口調、伝わる思い。生徒達の心に残ったろうか。拍手がとまらない。
お話を聴いて 生徒たちは・・・思いを綴った。
〇 私が一番心に残っている言葉は、「戦争を二度と起こしてはならない。広島を最初で長崎を最後の被爆地にして欲しい」という言葉でした。今の私たちがどれほど幸せなのか身に染みて感じました。普通に学校で勉強ができ友達と遊び、笑顔で過ごせる一日一日が、原爆や戦争で亡くなられた方々が心から願っていた日々なのだと思います。
〇・・・被爆者の皆さんから感じられる「戦争をなくそう」「核兵器をなくそう」という熱い思いを、すべて体験していないから未来に伝えるのは難しいかもしれない。けれど、戦争をなくそうという思いだけは未来に伝え、忘れずに心に留めておきたいです。
想像する力が一番大事 伊達さん・高橋さん