10月17日の全校挙げての4年ぶりの体育大会、そして、11月10日の創立50周年記念式典と翌11日に開催した50周年を記念しての地域教育協議会主催「イレブンフェスタ(特別Ver.)」を終えて、ようやくこのホームページまでたどり着く時間ができました。

その間にもいろんな出来事があって、いろんなことを思い、考えました。いろいろ本当に難しいですね。

少し熟成させて、またの機会に綴りたいと思います。とりあえず、記念式典での学校長式辞を載せておきます。

 

式辞

一雨ごとに冬に近づいていく中、本日ここに、豊中市長・長内繁樹さまをはじめ、多数のご来賓の方々のご臨席を賜り、豊中市立第十一中学校創立50周年記念式典を挙行できますことに、在校生徒並びに教職員一同、心より感謝申し上げます。

本校は、1973年4月、豊中市立第三中学校の分割によって誕生しました。開校当時の資料をひも解くと、校舎ができるまでは三中のグラウンドを間借りしての4棟のプレハブ校舎からスタートしました。そこで生徒・保護者・職員が一体となって、まず始めたことは、制服や校章のデザインを決め、阪急バスの延伸・増発の陳情など新天地の準備でした。

夏休み前にまずプールが完成し、7月9日には生徒全員が三中からプール開きのために歩いて訪れています。8月27日にようやく北館が完成し、8月30日に職員と生徒によって、トラック2台で机・椅子などを運搬。ようやく2学期からこの場所での授業が始まりました。

創立記念日の10月9日は体育館が完成した日、南館が完成したのは翌1974年の4月でした。当時の記録からは、自分たちの学校を自分たちの力でという、新しい学校創りに苦労しながらも徐々に出来上がっていく喜びが記されています。

学校の基礎ができてからは、1976年に当時の文部省から帰国子女教育研究協力校の指定を受け、帰国子女の受け入れ推進地域センター校として国際理解教育を柱に積極的に取り組みを進めてきました。こうした経緯もあり、昨今のように国際化が進む以前から、海外にルーツを持つ多くの生徒たちは今と変わらず自然と学校に溶け込んでいたようです。

やがて、創立20周年が過ぎ、開校当時に生徒指導主事だった山口博之先生が校長として再び着任されたころ、校則を見直す機運が高まってきました。そして、1995年、服装を自由化し、校則を廃止し、その代わりに「生徒憲章」を制定しました。制服を設けていた府内の公立中学校では初の取り組みとして、NHKでも放映されました。

 時代の変遷と共に、地域社会の情勢や私たちの生活習慣も大きく変化してきました。少子化が叫ばれる中にあっても、本校の生徒数は一向に減ることはなく今年度も1100名近い生徒が在籍しています。学習活動はもとより、部活動に、また校外でのスポーツや習い事にと、多様な個性が大事にされた環境の中で学ぶようになりました。

このようにして十一中は成長と発展を続け、これまでに17,854名の卒業生を排出してきました。最近卒業した学生は、現在それぞれの進路で自分の夢に向かって努力を重ねています。また多くの方々が地域の繁栄と発展を力強く支えると共に、関西、日本にとどまらず、諸外国を含め各界において志高く活躍されていることは、皆様ご承知のとおりです。 

 さて生徒の皆さん、中学生とは、自分とは何者ぞ(自分とは何者なんだ)と、人生の中で初めて自分と向き合う時期です。何が好きで、何が苦手で、自分のどこが良くて、何が大切か。自分はどう見られたくて、でも等身大の自分は理想の自分とは違っている。その差は埋められるのか、どう努力すればいいのか。素直に表現できず、その気持ちを形にしようと藻掻く。そんな時期です。そして、多くの友達と触れ合う中で、それまで与えられてきた価値観を問い直し、自分を新たに作り直し始める時期なのです。

朝、何も考えずに毎日同じ制服を着るのではなく、何を着ようかなと選択する、今日という日のために何が必要かを考えて決める。人生は選択の連続です。その小さな選択の先に自分は作られていくはずです。

決められたことをただ守るだけでなく、工夫する、他人のことも考える。だからこそ、柔軟でいましょう、考えることを続けましょう、想像力を鍛えましょう。それが「生徒憲章」に謳われた十一中の伝統です。

皆さんが今後生きていく社会は、グローバル化や多様化が更に広がり、デジタル技術の進展に伴い、さらに変化の激しい社会になります。そして、皆さんに求められることは、(自分から)主体的に学び考えて行動する力や、互いを理解し合い協働して社会を支える力、新しい文化を創造していく力であると言われています。

しかし、十一中では、もうずっと前から、多様なことを受け入れてきた土壌があります。それこそがこの学校の歴史です。

これからの時代は、学校の在り方が問い直されることでしょう。わざわざ来なければいけないのか、何を学ぶべきなのか、何のための学校なのかといったふうに。

この五十年間、十一中の校舎は、グラウンドは、体育館は、人として生きていく礎を作る十一中生のその営みを、ずっと見守ってきてくれていました。そして、これからも、ここ島熊山の丘の上に十一中はあります。

人は人との関係の中で生きていきます。人との繋がりの中でいろいろなことができていることを忘れないでください。そして未来に繋げていくのはあなたたちです。

50周年の節目に当たって、皆さんが未来社会をたくましく生き抜いていくための力を、伝統ある第十一中学校で受け継いでいる『生徒憲章』に謳われている精神をいま改めて温めなおして、しっかりと身に付けていってくれるように、強く期待しています。

 終わりになりますが、ご臨席の皆様をはじめ、これまで本校の発展にご尽力いただきました多くの関係者の方々、日頃から惜しみなく温かいご支援をいただいております保護者や地域の皆様に心より感謝申し上げますと共に、今後も変わらぬご理解とご協力を賜りますことをお願い致しまして、式辞と致します。

 

 

 令和5年(2023年)11月10日

                    豊中市立第十一中学校長   浅田 勝利