いま見ていただいているこの11中のホームページには、50周年実行委員会の方が開いている「創立50周年記念事業」というコーナー(リンク)があり、「事業テーマ『つながる、つなげる』という言葉を軸にして企画を進めていること、私たちの学校の大きな記念日に、アイデアや情報、ボランティアを募っていること」が記されています。

 

創立50周年であることなんて知らずに、中学時代を懐かしんで何気なくホームページを覗いた人がそこから実行委員会にメールを寄せてくださったそうです。

そのことが実行委員会LINEグループに紹介されていて、ご本人の許可も取っていただいたので紹介します。

 

 

【福本 穣斎さん】

平成8年度(1997年3月)卒業 放送部

(ボランティア参加)日程など都合がつけば出来る範囲で参加したい

 

卒業以来、母校を訪ねたことはないが、何故かふと気になって、初めて十一中のホームページを見てみたら50周年記念と知って、27年ぶりに訪ねてみようかなと思いました。

 

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1年生の時は、阪神淡路大震災を経験し、渡り廊下が一部崩落したことや、校舎から遠く神戸が燃える煙を見たことが大きな衝撃でした。

2年生の時は、校則の廃止と生徒憲章の制定・制服の自由化など、何度も生徒総会で教職員と本音で意見を出し合うと共に、自由には責任が伴うということに議論が至り、大人たちから信頼を勝ち得るために、無遅刻運動で同級生同士で声を駆けあって登校したこと、生徒憲章が制定されたときのこと、また、同級生だった生徒会長が「制服自由化に反対した少数意見の生徒が委縮することがあってはならない」と、自身は生徒会長選挙で制服自由化に賛成する意見を表明したにも関わらず、制服の自由化後も自身は制服通学を続け、制服を着続けたいという少数意見の生徒に、生徒会長の職責として寄り添い続けた態度を、身を持って示したことなど、同級生ながら感心し、大きな感銘を受けたことが記憶に残っています。

3年生の時は、体育大会の組体操で、予行練習ではいつも6~7段で崩れて一度も成功しなかった10段ピラミッドが、本番の時だけ一発で成功したこと、そのときに自然に湧き上がった全生徒の咆哮と達成感。大人になって振り返ると、中学生の時に、これら貴重な体験を出来たことが、その後の人生で大きな糧になったと思います。

 

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1学年上に、めちゃくちゃサッカーの上手な人がいました。確かJリーグの選手になって日本代表にもなっていたと思います。確か渾名は「大黒様」でしたが、フルネームは失念しました、すみません。

 

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「追記;

当時、匿名アンケートで自由服反対の少数意見もあり、家庭の事情で私服にお金がかけられないという理由には、子供ながら考えさせられたことを思い出しました。

その後も具体的にどの位お金がかかるの?とか、皆にアンケートして、一番高い回答で月に5万円を服代でもらっている子がいて、びっくりしたことも覚えています。

自由服だから制服を来てもいいとの話になりましたが、それでも一人だけ制服通学するのは恥ずかしいから出来ない、という意見も最後までありました。

子供ではどうすることもできない問題であっても、少数意見に寄り添う態度や違う意見への理解が大事なんだと気付かされた、朝日君の行動が強く私の記憶に残ったのだと思います。

確かに、自由服になって数週間は、派手な私服やブランド物を身につける子も居ましたが、次第に落ち着いてきました。これは特に女子が中心になって「勉強する場である学校でお洒落するのは逆にダサい」「自分だけカッコつけるのは無責任」という態度を示していたからと思います(カッコつけても女子に嫌われたら男子としては意味がない)。制服を着る子が浮かないよう、女子では制服と私服のコーディネートが流行ったりもしました。

今から思えば、やはり生徒総会などで少数意見に接して、子供ではあっても、友達や仲間を思いやる心が、自然にそのようにさせたのかもしれません。

当時は特に意識しませんでしたが、大人になって振り替えると本当に素晴らしいことを経験したと思います。

思い出していろいろ書いてしまいました。長文乱文失礼しました。」

 

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一読してまず感じたのが、まだゆっくり時間をかけて、筋を通していた時代の話なのかもしれないなぁということでした。(ノスタルジーに浸っていてはいけないのですが)

そしてそれと同時に、何年か前に見つけた、なるほどうまいことを言うなぁと書き留めた文章を思い出しました。出典を控え忘れていたのですが教育関係の雑誌だったと思います。それは、

 

「あるラジオで『学校で先生に帰れと言われて嫌です、頑張りますと帰らずに歯を食いしばって頑張ったのが40代以上の世代。帰れと言われて本当に帰ってしまうのがゆとり世代。帰れと言われたら、後で、親が学校に怒鳴り込んでくるのが今の子供たちの世代』

私たち人間は世代による文化、価値観、思想などの違いから逃れることはできない。これらはその時代、その世代に生きた人々の経験や環境因子によって方向づけられ、決定されるから」といったものです。

 

福本さんから寄せられた文章を読んでし、この文章を思い出しました。

当時の生徒会長の朝日君はきっと筋を通す「いい奴」だったのでしょう。しかし、それだけじゃなくて、当時の十一中は、今よりももっと子どもを大人にしていこうと背骨のしっかりとした育て方を、保護者の方はもちろん、彼の周りの教員や大人がしていたのだろうと想像してしまうのです。

 

 負けてはいられません、いろんな大人が時間をかけて関わると、生まれながらにして有能な学び手である生徒たちは、与えられた種を立派に育てて芽を出し成長させていくはずです。