6年生は、「広島風お好み焼き」の秘密について学習していました。どうして広島風のお好み焼きができたのか。

戦前は、一銭洋食として、薄い生地にねぎをのせて食べる子どものおやつがありました。終戦を迎え、焼け野原と化した広島では、屋台が増えます。食べるものやお皿や割り箸がない中で、鉄板の上で焼いてそのまま小手を使って食べられて、腹持ちのいい食べ物として広島風のお好み焼きが発展しました。また、屋台の暖簾には「みっちゃん」など女性の名前を染めた暖簾をかける屋台が多かったのです。それは、終戦後、焼け野原になった広島に戦地から帰ってきた兵隊さんたちや原爆で離ればなれになった人たちが、「ひょっとしたらここかな」と気軽に暖簾をくぐれるように、目印としての役目を果たしていたのです。

子ども達は、広島風お好み焼きの歴史に触れながら、戦争当時の人々の苦労に思いをはせていました。

広島風お好み焼きの歴史

そして、家庭科の時間を使って、広島風お好み焼きにチャレンジです。子どもたちは満面の笑顔で試食をしていました。

お好み焼きを作るようす

試食のようす

 

この歌詞は、毎年、6年生の平和学習に合わせて、全学年で取り組む平和の祈りを込めた楽曲「折り鶴」です。今年も各学年で合唱に取り組み、6年生の「修学旅行行ってきます集会」で全員合唱をします。写真は2年生の教室です。きれいな歌声で一生懸命練習していました。

「折り鶴」の歌詞

合唱の練習のようす