本校の北門の両脇には広い歩道がある。その横の車道よりも広い歩道で、車止めのようなものもあり、何かいわれがあるような気がする。

 

 

退勤時、その歩道を向こうから歩いてきた男性が立ち止まってしばらく塀の上部を凝視した後、手を伸ばした。そして採ったものを口に入れた。

 

本校は校内に草花が多く四季の彩りを演出してくれるが、食べられる実もやたら多い。

春には体育館へ行く北館を出たあたりにユスラウメが、南門の横にはヤマモモが実をつけていた。

 

先ほど男性が立ち止まっていた辺りはちょうどプールの裏手で、そこにはさまざまな木があり、初夏にはビワが色づいて大きくなるのを楽しみにしていたら、さすがに鳥に先取りされた。

その頃に、小さいブドウの房を発見し、日増しに大きくなり、そして色づいてきた。

「デラウェア?!、まさかね」と思って夏休みが始まる頃に捥いでみたら、たくさん種が入ったデラウェアだった。

今は小さなイチジク、それにまだまだ小さいが緑色の柿もできている。

(なんかすごいな、こんな都会で。でもなんでデラウェア?)と謎は深まる。

 

「今年はなんかたくさんできてるんですよ」と用務員さんが教えてくれた。蔓も太くて豊作なのだそうだ。

物欲しそうに聞こえたのか、翌日の校長室の冷蔵庫には6房ほどを冷やしてくれていた。

 ありがたく頂戴した。野趣に富むとはこういうことを言うのだろう。種が面倒臭くてたくさんは一気に食べられない。しかし素朴な甘酸っぱさだ。押し付けるような甘さではない。店で買うデラウェアとは違うものだ。

 

 最近人気のシャインマスカットは、面倒臭さを極限までなくして、ついに袋(皮?!)まで食べられるようになり粒ごと食べられる。

 この極端に面倒くささを排除していく精神が旺盛ゆえに、日本は進化を遂げてきたのだろう。

 最近は魚の切り身に骨がない。(食べやすいけど誰がどうやって骨を抜いているのだろう?)なんて思いに耽っていた。

 教員になりたての頃、先輩で煮魚の食べ方がとても上手な先生がいた。魚を上手に食べられるのが大人であり、食べた跡が汚い自分を恥じた。

 

 今日、用務員さんが「桃も採れましたよ」と持ってきてくれた。

 「桃」?! 絶句である。

 大きさは李(すもも=プラム)くらいだけど確かに「桃」だ。 職員室にも驚きの声が上がった。

 ​なんでもありの、ここは豊中市、第四中学校。なんか恐るべしなのだ。