朝読書の時間だった。用務員のBさんが、校長室に駆け込んできて、「学校を見せてほしいという方が学校に入り込んできている」と報告があった。

頭をよぎった単語は「不審者」。でも確かに北門の扉は締めたはず。

原因を考えてるより行動だ。「うん、対応するわ」と言ってすぐに校長室を出た。

見ると、阪神タイガースの野球帽をかぶり、黒い鞄をたすき掛けにした、人の良さそうなお年寄りだ。職員室に声をかける必要はなさそうである。

 

「どうされました?」と尋ねると「校舎は昔のままですか?」と第一声。

「ところどころ改修はしていますよ」と答えると、「卒業生なんです、グラウンドを見せてもらえませんか?」と。「授業が始まるまでなら、私が案内しましょう」と一緒に歩き始める。

   

グラウンドには7時過ぎから授業の準備で体育の先生たちが引いたトラックや直線が描かれている。それを踏まないように避けて歩く。

私が「今、おいくつですか」と尋ねると、彼は「78歳です」と答え、「懐かしい」を連発されている。

「今はどちらにお住まいなんですか」と尋ねると、「愛媛です、今日は豊南小学校の同窓会があって大阪に来て、ふと四中が見たくなったんですわ」と共にグラウンドを横切る。

遠目に体操服の生徒たちは体育館に入っていく。どうやら、一時間目の体育の授業は体育館でのようだ、ゆっくりしてもらっても良さそうだ。

 

「いま豊南小学校は十二中の校区なんですよ」とか話していると、本館と西館を遥かに仰いで、「あの辺の教室だったんですわ」といって、担任の先生によく叱られた話で盛り上がる。

「いまは何かと難しくて、手ぇなんて上げられませんでしょうが、昔はねぇ、よく叱られたものです」とおっしゃる。言葉を濁しながら、何が本当なのかわからないけれど「ホントですねぇ」なんて答えていた。

 

知っている先生の話に盛り上がる。「へぇ、あの先生、校長になりはったんですか、まだ生きてはるんですかねぇ」。確か鬼籍に入られたのではなかったか…。「ノックがうまくてね、僕はレフトだったんですよ」と言いながら、一緒にレフトのポジションに歩みを進める。

その後も野球を続けられた話、大学まで進まれて、仕事で愛媛の地に落ちつかれた話などをうかがった。

「あと1メートル、ってくらいに、もう少し走ったらってぐらいに絶妙にノックされたんですよ」と言って立ち止まって、おもむろに、「あぁ、15歳の俺はここにいたんやなぁ」と目を細めて涙を流されていた。

そしてもう一度「15歳の俺はここにいたんや」と呟かれると、「先生、ほんまにありがとうございました」と言って握手を求められた。力強い手だった。

しばらくバックネットを見ていて、「今日の同窓会で自慢しよ」と言って北門に向けて踵を返された。

改めて校門を出られてから深々と頭を下げられ、去り際に「先生、頑張ってな」と言われた。 

清々しい気持ちになって、「はい」と声が裏返りそうになった。

 

「15歳の俺はここにいたんやなぁ」という言葉が、「時の流れの中で、ここは一人一人の思い出の中の学校なんだ」という当たり前のことをとても尊く実感させられたのだった。