久しぶりに風邪をこじらせてしまった。
久しぶりに風邪をこじらせてしまった。
だんだん無理がきかなくなってきたなと情けなくなる。
身体がしんどいとネガティブになりがちだから、あまりものを考えずにいた。
当然、ブログのネタを探すようなアンテナはずっと下げたまま。
こういう時はものを書かないことがいちばんと経験から知っている。
すると、「最近更新が止まっているやん」と知人からLINEが届く。
知人からすると生存確認(安否確認)のようなものなのかもしれないが、当然のことながらぼやき方も注意しないといけない。
では最近思ったことや感じたことをつらつらと。
◇共感がほしいのだろうか…
中学生は、誰もが見られるのに、そして好意的に受け取る人ばかりではないこともわかっているだろうに、後先を考えずにSNSで、
何の気なしにつぶやき、あるいは、写真をあげ、動画をさらす。
案の定トラブルになる。そりゃなるよ、そんなことをあげたら。場合によっては学校だけでは収まらなくなることもある。
中学生に限ったことではない。世界中で、立派な大人もしでかしている。
なぜ上げる? 共感がほしいのだろうか?
学校でしっかりその危険性を教えてくださいと保護者から連絡が入る。
毎学期、手を変え品を変え、講師を招き、テキストを使用しやっている。
それでも、上げる人は上げる。なぜ、あげる?
大きなことになってどうしようもない所まで行かないと、体験しないと、わからないのだろうか。
想像力はどこへ行った。感情の衝動に負けてしまうのか。理性はどうした。
◇今は練習している時
昨日、一年生は、下校前に体育館で全体指導があった。
最近、相手を思いやることが足りていない、考えられていない言動が目立ってきているからだ。
ちょっかいをかけているうちに本気になって取っ組み合いになってとか、心無い言葉のやり取りや、あるいは陰口を耳にして
気持ちが重くなり教室から、当事者どうしだけでなく、教室という同じ空間に身を置いているだけで嫌になって足が遠のき始める
といったことなど、気持ちよく過ごすためのルールってなんだ!?と、全体指揮の先生の声は穏やかに深い。
中学生の彼ら彼女らにとって、今は、人との距離感を練習している時なのだ。
距離の詰め方や離れ方、話し方や、触れ方の試行の時期なのだ。
子どもには再生する能力がある。理屈や、一貫性を越えた再生する能力が。
大人は援助者でありたい。
しかし、じっと待てない大人が、子どもの時分にしか持っていないこの再生する力をスポイルさせてしまう。
今は待てない時代なのだ。答えをすぐ出せないことは能力がないと決めつけられる時代なのだ。
往々にして人どうしの距離感というのは、時間を要するものなのに。
ヤマアラシのジレンマという寓話がある。こんな話だ。
「寒い冬の日に、2匹のヤマアラシが暖を取ろうと互いの体を寄せ合おうとしたところ、身体のトゲが互いを刺してしまいました。
痛みから身体を離すと、今度は寒さに耐え切れなくなってしまいます。
2匹は近づいたり、離れたりを繰り返しながら、ついには互いに傷付けずに済み、互いに暖め合うことができる距離を発見し、
その距離を保ち続けました。」
この話を知ったのは大学生の時だった。孤独を愛しつつ人恋しくて失敗を重ねていた時に出会った話だ。
この原稿を書いていて、気がついたことがある。
心無い言葉のやり取りや陰口を耳にして気持ちが重くなり教室に身を置いているだけで嫌になって足が遠のき始める状況を、
暴力的な言葉をあえて用いると「繊細過ぎないか」と感じていたきらいが自分にあった。
しかし、その場にいて、意に反して賛同者や傍観者となってしまうことを、もし避けているとしたらそれはすごい自己主張と
言えやしないか。
自分は小学生の時に今でいう「いじめ」に遭った。今となっては嫌な子だったなと自分のことを思うが、その日のことは50年たった
今でも鮮烈に覚えている。
その時に感じたことは、嫌なことを大声で発する相手ではなく、聞こえているはずなのに何を考えているのかわからない大勢の
クラスメイト(観衆)だった。
その中に当時いちばん仲が良かった友達を発見した時の絶望は、小学生なりに「人は怖い」というものを私に植え付けた。
教室に身を置きたくないと訴える生徒のメンタルは、半世紀を経て見事に一つの「主張」に値するものなんだと今日改めて感じた次第だ。
◇熱量と姿勢
10月は自分の学校の昼間の体育大会だけでなく、生徒数がすごく少ない学校の体育大会や、本校の夜間学級をはじめとする近畿の
夜間中学が一堂に会した連合運動会など、さまざまな体育大会に参加して感じたことがあった。
また、日本語指導が必要な帰国生徒・外国人生徒入学者選抜を実施している府立高校の様子を、そこで頑張っていらっしゃる先生が
生の声で紹介してくださった研修にも参加し、同様に感じることがあった。
うまくは言えないが、感じた共通した大切なものは、「熱量」と「姿勢」だ。
今日は、授業参観(オープンスクール)だった。
私たちの仕事はサービス業ではないと思っている。
しかし、一方でもっとサービス精神があってもバチは当たらないのではないか、と感じるときもある。
とはいえ今日に合わせて「うまいなぁ」と思ってしまう掲示物を見ては、ちょっと嫌な気持ちになる自分もいる。
ミスチルの「HANABI」の歌詞が頭をよぎる。
体調を崩している時の無用の呟きである。共感がほしいわけではない単なる呟きである。
