結果がすべてでは寂しすぎる
7月5日の朝刊に、4日の中央教育審議会の特別部会で学習評価の観点のうち「主体性」の見直しを行うことが話し合われたとの記事が載っていた。
「主体性」を測ることの客観的な根拠を得にくく、提出物の状況や、授業中の挙手の回数などが果たして「主体性」なのかとの課題からだった。
中央教育審議会は、5年後の新しい学習指導要領の改訂に向けて議論を重ねている。
確かに主体性を測ることの客観性はむつかしい。しかし、点数は取れなくても真面目に取り組んでいる生徒は少なからず存在する。
結果がすべて、点数がすべてではあかんのと違うかなぁ。人生上手に泳げる奴ばかりでは社会は成り立たんと思うんだけどね。
教育は国家百年の計ではないのか。
どこかで読んだぞ、こんなに提出期限をまじめに守る国民性は学校教育で培われているのではないかと。このことにエビデンスはないけど、つまりは人を測る物差しがますます貧弱になっていってることは確かだ。
お天道様は見ているからいいんだけど。
登録日: 2025年7月8日 /
更新日: 2025年7月8日