であいとつながりをもとめて

  いのちと安全を考える日

  ~阪神・淡路大震災を忘れない 

  本日17日は、阪神・淡路大震災が起こって、23年目を迎えます。昨年は、70周年の取り組みで、生徒会役員OBの方からの聞きとりを行い、六中の歴史をふり返る作業をしました。その中で、47期生の坂本さんの聞きとりからも、「阪神・淡路大震災」にまつわる話が出ていました。(70周年記念式典でも発表)

  23年前の1995年1月17日の早朝5時46分に想像を超えるような大きな地震(マグニチュード7.3)があり、神戸や淡路島を中心に大きな被害がもたらされました。6434人もの多くの方の命や大切なもの、そしてたくさんの思い出を奪い去ってしまったのです。大阪でも大きな被害があり、その中で一番被害が大きかったのが豊中であり、中でもこの庄内地域でした。23年前ですから、今の六中生は、その時のことは直接経験していません。しかし、保護者の方や地域の方々、あるいは自分の身近な人の中には大きな被害を受けた方も多数おられるのです。そして当時、六中体育館は避難所となり、たくさんの方が避難(多い時には、600名)されていました。ですから、その時の教訓をしっかり「語り継いでいく」ために、六中では、1月17日を「いのちと安全を考える日」と位置づけ、当時をふり返るとともに、いのちや安全について考える日としています。

  また一方では、悲惨な状況でつらい思いをしている中、たくさんの方々がボランティアにかけつけてこられ、支援や応援があり、とても勇気づけられたのです。この年は、1年間でのべ138万人もの人が震災ボランティアに参加されました。ですから、この年を「ボランティア元年」とも呼ばれるようになりました。つらい厳しい状況の中、「人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えられるんだ」という強い実感も、この時もつことができたのかもしれません。そんな思いも含めて、しっかり語り継ぎ、「自分たちの学校生活」にも生かしていければと思います。

 

 

創立70周年記念式典での発表から

◆47期生の坂本裕貴さんのお話では生徒会活動が学校内だけではなく、外へ向かって発信していったことのお話をして頂きました。坂本さんが入学された頃には六中が落ち着いていたので、学校内も整備され、カバンの自由化をはじめ校則も改正され始めた時だったそうです。その中で、サークルだるまと阪神・淡路大震災のお話がとても印象に残っています。

◆以下、坂本さんのお話です。

「サークルだるまというのがあって障がいをもった友だちと中学校までは一緒でも高校に行くときに進路がバラバラになる。卒業後もどうやってつながろうと考えたときに、卒業の学年でサークルをつくるという活動があった。先生たちに当時無理を言って、毎月1回夜に体育館を開放してもらってみんなが集まってくる。そこに障がいをもった仲間も来るという取り組みでした。

卒業してちょうど1年後に、阪神・淡路大震災があった、この庄内地域も被災地になったんです。友だちも、夜寝てたときに2階が落ちてきて家が全壊してしまって引越しをしたんです。このままではみんながバラバラになってしまう。とにかく助けてあげなければとサークルだるまで募金活動を行いました。

◆当時の六中体育館の様子です。たくさんの六中の生徒も被災者となり、六中の体育館に避難し、体育館から教室へ登校する生徒もいたそうです。当時の3年生の方は授業が終わり、そのまま職員室で10時まで先生方と勉強をされ、体育館へもどるという毎日を過ごされていたそうです。その中で受験に挑戦された方もいたと聞きました。一方で、近隣の学校や海外から、たくさんの方々が六中を応援してくれました。大きな被害を目の前にして元気をなくしていた六中ですが、みなさんの温かい励ましで元気を取り戻されたことだと思います。第三中学校からは「共に頑張ろう」という人文字の写真を、第九中学校からはたくさんの励ましのお手紙。第十五中学校からは生徒会の方が炊き出しに来てくれたそうです。生徒会活動が校内だけでなく外へ向かって発信されていく大切さを実感することができました。