57日、土曜日の朝、この春に異動された前任の教頭先生から「読売新聞に載ってますね」とLINEが届いた。「なにが?」と短く返すと、記事の写メが送られてきた。それでようやく今年度から始めた「名札」について、現教頭先生がその趣旨について電話取材を受けて原稿で応えたことを思い出した。

「名札」については、昨年度一年間かけて考え、この春から始めた取り組みである。

関りが深くなってくると顔と名前が結びつくのだが、私も昨年度に異動してきて、1学期、特に4月や5月は難しかった。各学年9学級もあるので授業で教えていないと、異動してきたばかりの職員でなくても何年生なのかわからない。話しかけるにもひと苦労だという声も聞こえてきた。管理的なイメージで生徒は嫌がるだろうなとも思ったが、コミュニケーションを深めるには必要と思って始めたのだった。

こんなローカルな変更について、どこから知ったんだろうねなんて言いながら、新聞社に返した原稿の中身は次のとおりだ。

「本校は名札をつけないと、自由服の学校であり学年の見分けがつかなかった。また大規模校で生徒数が多く、そこにマスク着用が重なり、特に異動してきて、2、3年生の所属になった職員にとっては顔の認識も難しくなった。職員だけでなく、生徒も名札を着用することで、お互いを名前で呼び合いたいという思いから始めた。」

そして57日の読売新聞の朝刊に載った記事は、こんな感じだ。

■全校生徒に名札                                          長期化するマスク生活によって不都合も生じている。大阪府豊中市の市立第十一中では、口元を覆うマスク姿ではお互いの名前が覚えられないとして、4月から全校生徒約1000人に名札の着用を義務付けた。浅田勝利校長は「互いに名前で呼び合えるようにしたかった」と話す。

なんとなくニュアンスが異なるのだ、完全に違うわけではないのだけれども。コロナでマスクだから、もあるけど、マスクだから名札を、ではないのだ。

確かに送る原稿のチェックは最後にしたけど、校長が話したか? なんて細かいことを、教頭先生と「ふたりごち」ていたのだった。  (その2に続く)