淀川と結ばれ、にぎわった京へ上る水路 神崎川
豊中市内には、昔に和歌で詠まれた景観や、民話を残す場所、小説の
舞台になった地域、優れた俳人たちをしのんで建てられた句碑などが
あります。そんな文学にゆかりのある場所の一つに神崎川があります。
神崎川(かんざきがわ)
神崎川は、8世紀末に淀川に連絡し、平安時代には、都と西日本を結ぶ
主要な水路となりました。河口一帯にはいくつもの港湾集落が栄え、
河尻(必ず船をつないだといわれる泊〔とまり〕)と呼ばれました。
紀貫之(きのつらゆき 868ごろ~945)の『土佐日記』には、貫之が土佐守の
任期を終えて船で神崎川を上る様子が記されています。河尻からさかのぼった
けれど、水が少なく、なかなか進まなかったということです。
また、大江匡房(おおえまさふさ 1041~1111)の『遊女記』には、
こうした地のにぎわいが記されています。
登録日: 2015年6月13日 /
更新日: 2015年8月5日