赤穂義士・萱野三平と庄内西
テレビや映画の「忠臣蔵」に登場する萱野三平(かやの さんぺい・1675~1702)は
椋橋の領主大島出羽守の推薦で、赤穂浅野家の小姓として召しかかえられました。
しかし、内匠頭(たくみのかみ)の刃傷事件で浅野家が断絶し、故郷の萱野村(箕面市)
に帰ってきました。
大島家の家老職だった父が、大島家への仕官を勧めてもかたくなに拒み続け、
元禄15年(1702)1月14日の朝、その年の暮に敢行された吉良邸討ち入りを知ることなく、
自害しました。
「晴れゆくや 日頃の心の 花曇り」と辞世を詠んで果てた三平。
庄本町1丁目の光國寺には、長さ九寸五分(約30㎝)の自刃の短刃と手槍があります。
三平の姉が当時15世住職のもとに嫁いだ縁によるものです。
二葉町2丁目の新福寺には、父三衛門の墓と三平の墓が並んで建っています。
箕面市芝には、三平の旧邸が残っています。
光國寺(こうこくじ)
新福寺(しんぷくじ)
登録日: 2015年8月7日 /
更新日: 2015年8月7日