庄本村から対岸の尼崎の戸ノ内村へは、猪名川に橋が

架けられる昭和の初めまで、渡し船で渡っていました。

宝永4年(1707)の旧庄本村の記録にも、この渡し場は

でており、 「津戸の中道」、地元では京街道と呼ばれる

古くからある道の上にあります。高槻芥川・吹田・西宮を

つなぐ中継地として、人びとの往来も多かったと推測できます。

 「椋橋」のすぐ横にたつ常夜燈(庄本町1丁目)

 江戸時代に入ってから猪名川は物流に利用されました。

上流の池田や伊丹の酒、年貢米等をここで積み替えて、

大坂等へ送りました。この荷物を扱った問屋の名にちなみ、

「三田屋の浜(さんだやのはま)」と呼ぶ人もいます。

 ここにある灯籠(とうろう)は、江戸時代の弘化4年(1847)

の年号と重次郎他2名の名が記されています。

 この川の「渡し」を示す目印、あるいは、渡しの安全を

祈願したものなのか、猪名川通運の安全を祈願したものか、

今となってはわかりません。