丁田樋門跡碑(大島町1丁目)

 丁田とは、江戸時代の記録では旧洲到止村(すどうしむら)

領内の字名で、樋(ひ)を庄本村と共同で管理していました。

 明治時代以降の小字(こあざ)丁田は、これより北側、庄本

地区の小字立島(たてじま、現二葉町1丁目)をはさんで阪急電車

沿線の一区画にあたりました。

 丁田樋門周辺には、北東の島江地区に集まった水と、現在

の千成小学校の東角辺りで小曽根(おぞね)用水から取り入れ、

菰江(こもえ)地区や洲到止地区を潤した水が流れてきており、

その一部が外島樋門(そとじまひもん)へ向けて落とされていま

した。

 昭和になると周辺はヨシ原になり、水溜まりになった樋門

のあたりには鯰(なまず)がたくさんいたようです。