市道神崎刀根山線の南端部は、かつて「小曽根用水」と

「吹田用水」の2つの水路が並行して流れていたところです。

この用水路は排水が流れていましたが、流域で農業用水

として活用され、関係の村々の管理により普段は

きれいな水が流れていました。鯉(コイ)、鮒(フナ)、

鰻(ウナギ)などがおり、漁もできたといいます。

 その終点に下の町洗い場(しものちょうあらいば)がありました。

ここには、その用水路に降りる足場があり、野菜や衣類を洗う

ために利用されていました。

     下の町洗い場碑(大島町3丁目5)

 洲到止(すどうし)には、もう一つ、洲到止八幡宮の近くに

「上の町洗い場」(かみのちょうあらいば)がありました。

 洗い場は、「井戸端」と同様に社交の場でもありましたが、

水道の整備、普及にともない、昭和10年(1935)まで

洗い場として利用されました。