昔、こここには水門がありました。

 南に島の水門、外島に高見水門があり、神崎川に

排水し、高潮防止の重要な役割を果たしていました。

 石碑には、天保6年(1835)に、石造りの水門に

改修されたと記録されています。

 庄内5ケ水利組合(庄本・島江・三屋・野田・島田)

にそれぞれ用水路がありました。水門内外には船溜まり

があり、付近には、日常生活品の洗い場があり、水門

には、農産物や田畑肥料船が出入りし、人びとの大切

な浜として栄えていました。

 また、この付近は、子どもの船遊び、水遊び、魚とり

の絶好の遊びの場となっていたようです。

 昭和42年(1967)9月、区画整理によりその姿を

消してしまいました。

 碑文を読むと、水郷ともよべるかつての姿が偲ばれます。

 

   庄本南水門之址(庄本町4丁目1)