今の場所へ移ったころ

大正2年(1913年)3月21日、現在の場所に木造の校舎が新しく建てられ、学校が移ってきました。その当時は、6学級192人で、田んぼのまん中に学校だけがポツンと建っていました。

大正時代の校舎

 

学校のかなしい思いで

   昭和9年(1934年)9月21日、関西地方をおそった室戸台風のために、校長先生と五人の児童が、たおれた校舎の下敷きになって亡くなりました。

 その日は朝から強い雨風が吹いていましたが、子どもたちは、傘を飛ばされないようにして、いつもの時間に登校しました。授業がはじまった頃、雨風がさらにひどくなり、子どもたちは教室の窓から瓦などが木の葉のように飛ぶのをこわそうに見ていました。西側の校舎が危なくなってきたので、子どもたちは、講堂のある北側の校舎に避難しました。

 八時半頃、風の向きが急に変わり北側の校舎がものすごい音とともに倒れ、たくさんの子どもや先生が、その下敷きになりました。知らせをうけて、消防団や村の人たちは、ひどい雨風の中を駆けつけ、倒れた校舎の下敷きになっている子どもたちを次から次へと助け出しました。ところが、稲久保正夫(42歳)校長先生は数名の児童を抱きかかえ、五人の子どもとともに亡くなりました。もちろん多くの子どもや先生も大けがをして病院へ運ばれました。

大風水害記念碑

 給食室前にある「大風水害記念碑」はこの災害で犠牲になった人たちを偲んで建てられました。