「熊野田」という地名(1)


 校区の熊野町は、かつて熊野田(くまんだ)村と呼ばれ、今でも古い町並みと寺や神社が残っています。
 「熊野田」という名のいわれは、今からおよそ千年前の平安時代中ごろにさかのぼります。花山法皇が、佛眼上人(ぶつげんしょうにん)というお坊さんとこのあたりを通られました。
 その時、千里山(ちさとやま)の山脈につづく島熊山(鬼がたけ)の佛念寺山にいたるこのあたり一帯の地形が紀州(和歌山県)の熊野というところによく似ているので、ここに寺と神社を建てて、「熊野にかわる地」とし、村名を「熊野代」と名づけられたそうです。
 そうして、いつしか「熊野代」がなまって「くまんだい」とよばれ、その後、「くまんだ」、最後にはそれに「熊野田」という漢字があてられたといわれています。

熊野代山石

  ちなみに島熊山は、奈良時代の万葉集の中に出てきます。
「玉かつま島熊山の夕暮に 独りか君か山路こゆらむ」(寂蓮法師)。この歌は、丹波方面へ旅立った夫の行路をしのんで、留守居の妻が詠んだものだと言われています。