熊野田という地名(2)

 このあたりは、かつて熊野田(くまんだ)村と呼ばれていました。村域は、現在の町名でいうと、赤阪、旭丘、東泉丘、西泉丘、上野東、上野西、熊野町、栗ヶ丘町、新千里南町、中桜塚、広田町、東豊中、夕日丘で、現在の豊中市域で最も広い村域でした。

 文献で「熊野田村」と出てくるのは、応永8年(1401年)7月注進の春日社領垂水西牧田数帳に「熊野田村 拾町 公田定」と村の名前が出てくるのが最初です(室町時代)。

 安土桃山時代の文禄3年(1594年9月23日に太閤検地が実施され、「豊島郡熊野田村御検地帳写」には「村高429石余、家数138」と出てきます。

 江戸時代はじめの慶長10年(1605年)『摂津国絵図』に「熊野田村」とでてきます。

 明治22年(1889年)の市制町村制施行で「熊野田村」が公式の村の名前になりました。

 昭和11年(1936年)に豊中町、麻田村、桜井谷村、熊野田村の4か町村が合併して豊中市が発足しました。それと同時に「豊中市○○番地」となり「熊野田」の地名が消えてしまいました。

 昭和29年(1954年)から町名が決められました。昭和31年に旧村の中心部が「熊野町」と復活しました。

 

「熊野代」→「熊野田」→「熊野町」→「豊中熊野」

「代」「田」に変わり、「田」「町」になっています。現在では、東豊中6丁目の郵便局の名が「豊中熊野郵便局」とあるように、そもそもの「紀伊の熊野」「代」わるという意味の地名が、「豊中の熊野」になってしまいました。また、周辺の公共施設からも「田」が消えてしまいました。

 

 その経緯から、今はなき本来の地名「熊野田」を受け継いでいる「熊野田小学校」に、地域の方々は特に愛着を持たれています。それと同時に期待も大きいものがあります。