「より」と「から」
もう数十年前のこと、教育委員会事務局に指導主事として赴任したての頃、学校への通知文を作っては上司に何度もやり直しを指示された。
ちょうどプレバト(木曜19時からTBS系列でやっているバラエティ番組)で「才能なし」の芸能人の俳句が俳人の夏井いつき先生に手直しされて原形をとどめないようになるのと同じ状態だった。
「確か国語の先生だったよね」とたびたび揶揄され、40歳を過ぎてからの指導主事生活は、学校現場とは話している言語も違うような、そんな慣れない環境で毎日が辛かったことを思い出す。
学校への通知文、いわゆる公用文を作る中で、上司から教わったことの一つに「より」の使い方がある。校長になり学校発出の他人の文章を添削することが多くあるが、「より」の使い方がどうしても気になってしまう。例えばこんな文だ。「次年度より○○が変わります」。
厳しく教えられたことは刷り込まれているということなのだろうか、つい敏感に反応してしまうのだ。
「公用文作成の要領」第2の4の注1で、次のように説明されている。『 時及び場所の起点を示すには、「から」を用いて、「より」は、比較を示す場合だけ用いる。』
だから、上の文は「次年度から○○が変わります」が正しい。
学校からの「お手紙」の書き方は難しい。敬語の表現はでたらめが多くて、添削をきちんと正しくしたら冷たい感じになるし、なんか偉そうな印象を与えかねない。だから正しくないことがわかっていても通じればいいやで変な文のお手紙を校長名で出している。
「お手紙」の中での「より」と「から」の混用は、たぶん先生たちの「冷たい堅苦しい感じや偉そうな印象」を避けたい思いからなのだろう。「より」を使ったほうが丁寧でぼかした雰囲気を与えられる気がする。
「より」と「から」のように公用文で区別したり表現を限定したりしているのは、行政としての統一性と意味を、受け止め側によって変わらないように、あいまいにせずはっきり伝えるためだ。
しかしながら昨今、教育委員会からの文章でも、学校の先生たちが作る「お手紙」の文章のように、「より」と「から」の混用が目立ってきた。それ以外にも上司はきちんと見ているのだろうかと思うことは増えているとよく耳にする。
指導するにもパワハラを警戒して数十年前の私の時のような環境ではないからだろうか。あるいは電子決裁で細かく見るより速さを重視するコスパやタイパの時代だからだろうか。
確かに、「より」であろうが」から」であろうが、こんな些末なことはどうでもいいのかもだ。しかし、教える側は毅然としていてほしいなぁと思う、なぜなら緩さは責任の所在をあいまいしがちなのだから。
上司の方々は、学校現場を離れ教育行政を勉強している後輩たちにきちんと根拠をもって指導してあげてほしいと思う。
数十年を経て、今となっては、場違いなところに迷い込んだ私に、時間をかけて指導してくださった方々には感謝しかないのだ。
