昔の小曽根あたりは、のどかな村で、東に高川、西に天竺川の美しい松林に囲まれ、春は菜の花やれんげでうまり、それはきれいなながめでした。

その平野の中を花粉で、服を黄色く染めながら走りまわった子どもの四季をお年よりから聞いてまとめてみました。

お正月は学校で紅白のまんじゅうをもらってきて、母親に神だなに供えてもらった後、たこ上げ、こままわし、はねつきをはじめたものです。寒い頃には、ラムネやべったんもよくしたもので、ラムネはビー玉を指ではじいてころがし、穴の中に入れると勝ちです。べったんはカードをひっくり返すと相手のものを取れたので、強い子はたくさん持っており、取った、取られたの勝負事のため学校では禁じられていました。また校舎にもたれて「おしやい」をして体を温めたものです。かくれんぼや陣とり、かんけりなどは広っぱでするより道ばたの方が楽しく、狭い露路をはじめ、村全部がかくれ場所でした。手づくりのだんごやすしを配り合うつきあいでは、よその家も、平気でかくれ場所にできたものです。

 

春になると、二つの土手が、かっこうの遊び場所になり、ターザンごっこやチャンバラごっこで走りまわるそばで、弟や妹を背にした女の子が草花で身をかざり、ままごとをしています。戦争ごっこやけんかもしょっ中で「えさかの学校、ええ学校、机にもたれて、しらみ取り。」とやったものです。
麦刈りがすむと、ワラ細工をつくり、年上の人にあみ方をならって、かごを作ったものです。天竺川にツバメが飛びかうころ、麦畑のあとに、テントが立ち芝居小屋がかかります。そら豆が取れる頃なので、豆芝居とも言って年一回の楽しみでした。ホタル刈りもこの頃で、なたねガラで作ったほうきで「ほうほうほたるこい、あっちの水は苦いぞ、こっちの水はあまいぞ、あやめの笠きてとんでこい。」と歌ったものです。今では憶えている人も少なくなりました。

 

夏になると、学校の横の水路で水あそびをしたり、こっそり「ため池」や神崎川に行って、スリルを楽しんだものです。夏は暑いので、夕涼みに外へ出て、お年よりの将棋を観戦したり、時には昔話や怪談話、きもだめしと夜ふかしをすることもありました。

 

秋にはイナゴを取ってきて、焼いて食べるがあまりおいしいものではありませんでした。「よんや、そこじゃい。」のかけ声と共に獅子が村中をねりまわる秋まつりが始まります。

ここでも、獅子を追い出す大事な役目を子ども達が、になっていました。このほか、竹馬や樽の輪まわし、てくさり(ひがん花)の首かざりなど、白分達でちえを働かせた遊びがいっぱいありました。

 

自然に親しみ、季節の移り変わりを肌で感じるさまざまなあそびを作りあげた、数十年前の子どもの世界は、経済的にはともかく、その心は豊かさに満ちていたように思います。