可燃ゴミ置き場 

郵便ポストビフォー 

 郵便ポストアフタァー

可燃ゴミ置き場ですたい(写真1) 郵便ポストビフォー(写真2)

郵便ポストアフタァー(絵3) 

 九中PTA&用務員さんコラボ事業 大阪府が「まん延防止等重点措置」を実施すべき区域とされて1週間が経ちますが、府内で13日に確認された新型コロナウイルスの感染者は1000人を超え、過去最多となりました。 豊中市においても家庭内における濃厚接触者としてPCR検査を受検する児童生徒の数が増え、複数の学校において陽性者が確認されています。今後とも学校における感染拡大防止へのご協力をよろしくお願いします。さて、九中の顔のひとつに世間と学校を結びつける郵便ポストがあります。この度PTAの委員さんと用務員さんがコラボして新しいポストを設置しました(下写真)。 NEW 郵便ポスト

 郵便ポスト

 郵便制度が始まったのは明治の初め1871年のことである。廃藩置県と同じ年だ。社会の先生が授業のつかみとしてくさい話をする。「ポストの色は何色?そう赤だね、しかし初期のポストの色は赤色ではなく黒色だったんだ。その頃、公衆便所も普及し始め、黒い郵便箱の”便(べん)”を見た人が、ああこれは、新しいタイプのトイレで”便を垂れる”のかなと勘違いし、ポストの穴にトライした人がいた・・・くさかった」で、これはいかんと目立つ色の赤色に変えられたのだった。

 郵便制度はあっという間に広まる。受けのポストも各家庭や事業所に設置されるようになった。もちろん学校もだ。話は15年ほど前にさかのぼる。2006年当時その筋の道に卓越した用務員さんが九中におられた。「可燃ゴミ置き場ですたい」、とゴミ置き場の小屋等を作ってくれた。個性が光る小屋で今も現役で活躍してくれている(写真1)。その頃ノーマルな郵便ポストが壊れたので、用務員さんは新しいポストも作ってくれた。個性光る郵便ポスト受け「ポストですたい」は、ポストマンを優しく迎えるポストだと、その筋の世界で”受け”いれられた。しかし、雨ざらしのポストには寿命が来る。絵ははがれ落ちクリーム色に塗られガムテープで補修したポスト受けの姿(写真2)は、徐々に往年の輝きを失っていく。

 九中郵便ポストの奇跡 徐々に往年の輝きを失っていくポスト。さて、ポストに関わる小説といえば東野圭吾の名作「ナミヤ雑貨店の奇跡」に触れておく必要がある。あらすじは「夜にナミヤ雑貨店のシャッターの郵便受けに手紙を入れると、翌朝、店の掲示板に返事が張り出され、深刻な悩みには雑貨店の牛乳箱に返事の手紙が入っている」。シャッター越しにだけ繋がっている2012年と1980年が手紙を通して人の温かさに触れる。ポストを仲介にしたファンタジー作品だ。

 九中ポストが往年の輝きを失った頃、校長先生はなんとかしたいと思った。豊中市立第九中学校の表玄関、校舎は増築しアスファルトは舗装されピカピカだ。ポストだけが、ぽつんと一軒家ではないが取り残されている状況を回避したい。これはなんとかしなくちゃ、九中の才能ありに頼もう。用務員さんとPTA運営委員の方である。腕に覚えのある用務員さんと筆に覚えのあるPTA運営委員さんは立ち上がった。このPTA運営委員さんは防災中庭のさびついた鉄塔を「千人千色」に生まれ変わらせた強者である。用務員さんが木材を手配し部品を作り組み立てた。才能ありのPTA運営委員さんが、色はブルーを基調としたペンキをていねいに塗り重ね、レタリングの文字は本職の腕を発揮された。用務員さんとPTA 運営委員さんとの見事な連携で心温まるポストの完成である。こうして2006年作(写真2)と2021年作(写真3)のポストは繋がった。九中郵便ポストの奇跡だ。奇跡のポストはポストマンを毎日優しく迎える、「いつもありがとうございます」。

 用務員「新しいポストはPTAの方に依頼され、ポストの採寸をし組み立てましたが先代の形を継承しました。長持ちと使いやすさを追求しています。組み立てたものをPTAのデザイナーさんに引き渡すと心温まるポストに仕上げてくれました。郵便配達や宅急便の方が楽にポストインできる仕様になっています。20年後の九中70周年までもてばいいな、と願っています」

つながった 郵便ポスト 時代こえ