9月29日は高川小学校の創立記念日です。創立20周年時の記念誌から高川小学校の歴史を紹介します。

【大昔、高川校区は海だった!】
 私たちの住む高川小校区は、今から5000年くらい前は、海の中でした。それが、今から2000年前ぐらいになると、淀川や猪名川などから運ばれてきた土で埋め立てられて、陸地になったと考えられています。

 

高川小学校 誕生までのお話

その1 庄内駅ができたよ
 1951年(昭和26年)阪急電車の庄内駅ができ、次々と広い道路が完成すると、それに伴い住宅も増えてきました。校区の人口は1970年(昭和45年)には9103人になったそうです。(2012年は、6341人)

その2 なぜ創立記念日は9月29日なの?
 それは、1967年(昭和42年)9月29日の豊中市議会で豊中市の26番目の小学校として開校が決まったからです。当時児童数が1000人を超えた豊南小学校から分かれて、小曽根小学校との間に学校を建てることになりました。

その3 初めの校名は豊中市立五条小学校だった?
 1968年(昭和43年)4月1日、豊中市立五条小学校の仮称を変更し、豊中市立高川小学校が誕生しました。開校したものの校舎は間に合わず、第1回の入学式・始業式、そして1学期の授業は豊南小学校を間借りして行われました。

  

高川小学校の秘密 

その1 校章:あの矢印のようなものは何?!
 周りの枠は豊中市の市章(トが4つでトヨナカ)、高川の左右のしるしは、高川小学校の元気な明るい子どもたちがすくすくと育って行く様子と、緑の木々が茂っていることを合わせて表現しています。

その2 学校の真ん中を川が流れていた?!
 運動場に田んぼに水を引くための川(用水路)が流れていました。校舎から運動場に行くためには橋を渡らなければなりませんでした。ボールが川に落ちた時などはとても困ったそうです。保護者や地域の方が市に訴えて、川の埋め立てが始まり、1974年(昭和49年)工事が終了しました。

その3 児童数1000人を超えるマンモス校だった?!
 高川小学校は1年生~3年生までの270人でスタートしました。10年後の昭和53年には児童数が1000人を超え、1980年(昭和55年)には1033人、28学級になりました。それをピークに児童数は毎年のように減っています。