江戸時代、高い年貢のため、村の人々は大変苦労していました。時には役人がごまかした「物差し」で、より多くの年貢を取り立てようとしました。そのことに憤慨した村の「藤蔵」という人が、その物差しを壊しました。役人はその勢いに退散し、村の人は大いに助かったということです。その後、藤蔵さんは斬首の刑に処されたため、地域の人は今でも命日の12月14日には「藤蔵祭」として藤蔵さんを弔っています。