豊中市立千成小学校校長の磯部雄一です。

ご挨拶の代わりに想いを書かせていただきます。

 

☆今も昔も子どもは自分を守る(正当化する)ために多少の嘘やごまかしをするものです。それは単純に「怒られるのが怖い」からでしょう。

僕も子どもの時、嘘をついたことについてよく叱られました。そしてその度に、「自分のやらかしたことを正直に認める勇気を持つこと」を強く言われ続けました。僕の周りの人たちはいつも冷静に話を聞いてくれました。一生懸命話を聞いてくれました。そしてそこから出てくる子ども(私)の稚拙な嘘や誤魔化しを見破り、問いただされたものでした。

それは子どもを信じるとか信じないというような次元ではなく、信頼の土台の上にある、子どものための躾なのだと教えられました。

今の僕にはよく解ります。

子どもを応援するというのは子どもの意見を代弁することではない、子どもの成長に「自分がここにいるから」とエールを送り続け、間違いを正し、子どもの「自律」を見守ることであると思います。

「自分の言いたいことは自分で正しく言うことが大切!それが人としての強さ」と考えて子どもと向き合い続けることこそが、その子が大人になったときに本当の生きる力になると思います。

本校では各学年の教員が授業や学校行事の活動を通して子どもたちの将来につながるような力をつけることができるよう熱心に取り組んでいます。

その力とは子どもたちが自分の力で物事を正直に判断し、自分の考えをを正しく伝えることができる力と言い換えても過言ではないと思います。

 

☆ 今の日本はマナーが低下しているとよく言われます。それは誰かに言われなくては人の痛みや迷惑を感じることができない人が増えたからです。こうなると結局のところ人を規則で縛るしかなくなり、結果「自由」がなくなります。つまり、自分で良し悪しを考えられないから規則で範囲を決めねばならなくなるのです。

僕が十代の終わり、ある有名な作家の先生から頂いた話ですが、「今の人は首から下だけで生きている、これではアカン。首から上でも生きなさい。」と。

「首から下」というのは心の動き即ち「感情」、「首から上」というのは「頭脳」という意味です。

つまり、感情のままに一方的に言いたいこと言って、やりたいことやっていてはアカン、常に頭で相手のこと、そしてその次に起こることを考えて、生きなさいという事です。SNSで一方的に自分の意見だけを全世界にばらまく現代の人に考えてもらいたいことですよね?。

もう40年も前にその先生は、今の世の中を想像し憂いていたのかもしれません。

人の痛みを他人から言われないと解らなくなった想像力の欠如した現代人の話に変わりはありません。

こんな自分の事しか考えられない人が多い、情けない現代で必死に生きる子どもたちにとって、せめて学校だけは子どもたちが出来る範囲の中で、自ら気づき、考えて主体的に学べる「子どもたちの学校」であってほしいと願っています。そこには色々な経験が生まれます。楽しいこと、悲しいこと、しんどいこと、いろいろです。それらを経験するからこそ「強い人」、「優しい人」、「冷静な人」、「行動的な人」などいろいろな「人」がこの世に誕生します。

一人ひとりの子が生まれ持った才能に経験からくる学びがプラスされて人格が形成されていくのだと思います。

本校を卒業した子たちが将来社会に出て、いろいろなところで「人に対して気持ちよく生きている人」であってほしいと願い、日々の教育活動を進めていっています。