東豊台校区は江戸時代から大正の頃まで熊野田村が管理する里山地域としてため池がつくられ、薪の供給地として、また、タケノコやシタケの栽培地として利用された。

1930年代に住宅地として開発がはじまり、当時のパンフレットには「山あり谷あり起伏にとんだ大自然の景観」とうたい、坪12円で売り出された。

1950年代後半、開発の第2期をむかえ、東豊中団地の建設が始まった。なお、東豊中町の地名は昭和31年(1956年)から使われた。

昭和24年(1949年) 大池小学校から上野小学校が分離開校

昭和42年(1967年) 上野小学校から東豊中小学校が分離開校

昭和49年(1974年) 東豊中小学校より分離、豊中市第33番目の小学校として開校。


昭和49年代の兎川堤防の様子

当時の面影が残る兎川堤防の様子。

現在の校舎を遠くから見た様子

写真上方に現在の校舎(写真右)が建てられている。

 

 

豊中団地が作られた頃のバス停付近

 豊中団地が作られた頃のバス停付近。


現在のバス停付近の眺め

現在のバス停付近の眺め