2.成長
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はじめ、8学級380人たらずでスタートしましたが、児童数は毎年毎年増えつづけ、5年後の昭和35年には2倍に、10年後の昭和40年には3倍に、15年後の昭和45年には4倍の34学級1,400人にとふくれあがりました。 児童数が増えれば、それだけ教室の数が必要になってきます。 昭和35年4月、木造校舎の西側に初めて鉄筋校舎が6教室分建ちました。その後、東側にも6教室分。 さらに中央の木造校舎を2つに分けて、運動場東側(今の機械室、築山、観察池などがあるところ)に移し、そのあとに今の校長室、職員室、放送室、保健室、集いの部屋、コンピュータ室などがある本館が建ちました。そして、現在のように鉄筋校舎が一つにつながったのです。 |
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それでも教室は足りません。運動場もせまくなってきました。 そこで、以前は水路だった学校の西側をうめたて、そこへ音楽室、理科室、家庭科室、図工室など特別教室6教室の特別校舎が昭和45年8月に建てられました。 昭和47年2月に西校舎9教室が建つと同時に、創立の時から学校の移り変わりをずっと見つめてきた木造校舎が姿を消しました。 西校舎は、今ではクラブ室、留守家庭児童会室公民館室、倉庫などに使われています。 |
登録日: 2008年3月26日 /
更新日: 2008年3月26日