豊中市になって

   昭和11年(1936年)3月、台風で校舎がたおれたことで、悲しいことが二度と起こらないようにと人々の願いがかない、耐風【たいふう】・耐震【たいしん】を考えたじょうぶな校舎と講堂が建てられました。それは、中央を鉄筋コンクリートの3階づくりにし、左右に木造2階建てをくっつけた形式でした。その中央の校舎には校章が取り付けられました。校章はカタカナの「マ」を9つと「ノ」をならべ、まん中は「田」を表しています。

耐震、耐風の校舎

その年の10月に市制がしかれ、豊中町と熊野田村、桜井谷村、麻田村が合併【がっぺい】して豊中市になりました。その時の人口は37,733人(7,744戸)で大阪府では第4番目の市となりました。