夏休みの宿題についての意見が年々かまびすしくなってきている。

宿題の分量もさることながら、宿題を出す出さないまでのいろいろな意見がある。

適量というのがどんなものなのかわからないが、教科ごとのすり合わせもしないのでこの夏の宿題はどの学年もなかなかの量になっていた。

夏休みをどのように過ごすと良いのかとか、与えられた課題がしたいことの妨げになってしまうのではとか、悩ましい。

 

この夏、「校長からの宿題」(夏休みの社会勉強~知ることから始めよう~)という課題を生徒全員にTeamsで出してみた。

 「社会では常にいろいろなことが起きています。夏休み中は原爆の日をはじめ戦争をふりかえるニュースも多くあります。

     少し時間のある夏休みです。「人権」について調べたり、家族で話したりして、社会のこと、世の中のことに目を向けてほしいと思います。

     人権に関係するテーマをあげてみました。iPadで検索して、知らないことを知って、自分の考えや思いを深めてください。」

として人権課題の16個のテーマを提示し、その中から調べたり家族と話したりしたテーマの番号だけを回答するというものだ。そう番号だけを答えればいいのだ。

終業式で宿題について話もしたし、Teamsを開けば宿題に気づくはずと思いきや、各学年の宿題特集の「学年だより」に載せてもらわなかったせいだろうか、提出率は1年生19%、2年生18%、3年生33%という結果だった。また、

  「調べたり話したりする中で知ったことや、家庭や学校での生活、また習い事や地域社会との関わりの中で得た体験などをふりかえり、人権の大切さや必要なことについて考えたことを作文にしてください。」

という任意の課題を出したら、作文を書く者や調べたことをパワーポイントでまとめた者がこちらは全学年で20人近くいた。

強制も評価もしない中での提出率の結果を、多いとみるか少ないとみるかわからないのだが、やったことが何かのきっかけになったら良しとしようとひじょうに緩やかに捉えた。

自分としては現役の時には考えられない寛大さだ。

でも、やはりもう少し枠に嵌めた方がよかったのだろうか。

知らないということは危険なことだ。好きにしていいよというやり方は、実はとても怖いことなのかもしれない。