美術部3

美術部

 

美術部2

BOREL ARTクラブ 先攻(写真1)

九中ARTクラブ これも見て(写真2)

九中ARTクラブ 後攻 (写真3)

 サンマティオ市 ~サンマテオ市 ボレルミドルスクール  

 現在、九中は定期的にボレルミドルスクールネット会議をおこなっています。前回は美術部でした(写真123)。10月に来日する時のホームスティ先も確保し友好が深まりつつありますが、九中生はまだまだボレルのことを知りません。彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからずと世間ではいいます。もちろんボレルは敵ではありませんが、相手のことをよく知っておけばより友好的になれるのは事実です。そこで、ボレルについてお勉強です。

 サンマティオ市の歴史 豊中市のホームページによると・・・「現在のサンマテオ地域に定住したのは先住民で4000年前にさかのぼります。サンマテオ地域のおだやかな気候や質のいい水郷は生活するには理想の場所であり、18世紀後半にスペイン人がやってくるまで、この地域で最大の村を作っていました。」

 1776年7月4日ワシントンが、アメリカ独立宣言した。その年の3月にスペイン人の探検隊が布教の基地となる地を探すためにカリフォルニアに上陸し、サンフランシスコ半島の中ほど、現在のサンマテオ地域で野営した。その時に、探険隊はその地をスペイン語の「聖マタイ」に由来する「サンマテオ(San Mateo)」と名付けたのである。当時の探険隊の人々は、未開拓地の山や河川を、聖書の中の聖人の名前にちなんで名付けていたのだ。だから、 Santa Barbaraや、San Diego、San Jose、San Antonio、San Francisco、Santa Ana、Santa Monica  などサンのつく地名がアメリカには無数にあるのだ。

 「その後、この地は1822年のメキシコの独立によって、スペイン領からメキシコ領へ移りました。1846年にはネバダ山脈の金鉱発見によるゴールドラッシュの時代が訪れ、多数の移住者が殺到しました。メキシコの統治はこのゴールドラッシュで終わりを告げ、カリフォルニアはアメリカ合衆国に統合されました。1861年4月にサンマテオを経由してサンフランシスコとサンノゼを結ぶ鉄道の建設が始まり、1863年10月に開通しました。サンマテオ駅を中心に都市開発も始まり、サンフランシスコから人々が土地を求めて集まるようになり、1864年には教会、学校が建設され、1889年には消防団が結成されるなど、都市基盤も整うようになりました。さらに同年、郊外にダムが完成し飲料水の供給が可能になったことで急速な発展を見せるようになりました。1894年9月3日にはサンマテオは市制に移行しました。現在はサンフランシスコ近郊の住宅都市として、栄えています。」なるほど、サンマティオ市は、サンフランシスコの衛星都市なのだ。大阪市の住宅都市として栄えている豊中市とよく似ている。

 サンマティオ市の地理・気候 「サンマテオ市は、アメリカ合衆国西海岸のカリフォルニア州サンフランシスコ半島の中ほどにある、サンフランシスコ湾に面しています(左上 地図)。なだらかな丘陵地は地中海性の気候と相まって、すばらしい住宅地を形成しています。サンフランシスコ市へは北方30kmという位置にあり、近くにはサンフランシスコ国際空港があります。」 

 サンマテオとの時差は17時間、九中の朝8時半はサンマテオ市で夕方の3時半である。地球の向こう側で九中生と同じ中学生が同じように学校生活を送っていると思うだけでウキウキになる。もうすぐ、日本は雨期(正確には梅雨)になるが、サンマテイオは、地中海性気候だ。2,3年は地理で習ったと思うが(1年生はもうすぐ学ぶ)、温帯に属する。その名前からしてヨーロッパじゃないかとだまされやすい気候なのだ。が、条件が合うのでサンマテオ付近も素敵な地中海性気候なのである。冬に一定の降雨があるが、夏は日ざしが強く乾燥する。カラッとして日本のようにじめじめ空気もまとわりつかない。住みやすいが、雨が少ない。だから、サンマテオでは水はとても貴重な資源なのである。

サンマテオ市は素敵な地中海性気候