平和教育講演会  講演会終了後大きな拍手  感想

 講演中 「被爆」(写真1)

講演後  また「3年後」(写真2)

講演その後 「思い」(写真3)

 1941年12月8日 今日8日で太平洋戦争開戦のきっかけとなった旧日本軍の真珠湾攻撃から75年が経ちます。”犠牲者の慰霊と二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない”を未来に向け発信するため安倍首相はオバマ大統領と真珠湾を訪問することを決めました。さて九中です。5日の56限体育館にて、「豊中市原爆被害者の会」会長の伊達昭夫さんをお招きし、”核兵器の恐ろしさや戦争の悲惨さ”を生の声で伝えていただきました(下写真)。

平和教育講演会 被爆体験を後世に 絶対に忘れてはならないことがある。日本が唯一の被爆国である事実をだ。今、被爆体験の伝承は「風化の危機」を迎えている。被爆者の平均年齢は80歳を超えた。小中学生を対象にしたある調査によると「教師から原爆の話を聞いたことがある」とした児童・生徒は約3割だった(参考 産経新聞)。

 3割か・・・。被爆体験を後世に残していく必要がある。そのために伊達さんにおこしいただいたのだ。伊達さんは、84歳。昭和7年長崎市で生まれ満12歳の時に被爆され、お母さんとお姉さんを亡くされている。

 伊達さんが、ゆっくりゆっくりと登壇された。講演が始まった(写真1)。

〈・・・結婚相手には言わなかった。出来るなら思い出したくない。・・・浦上地区は全滅。顔の皮膚が垂れ下がった友達。「がんばれ」と言うしかなかった。黒焦げの死体があちらこちらにある。母と姉は家の下敷きになっているところを助けだされた。毎日のように重傷者から亡くなっていく。 医者はいない。8月15日戦争に負けた。母に言ってもデマだといって信じない。母は痛い、痛いと言いながら亡くなった。姉も医者に見てもらえない。17日に息をひきとった。2人の遺骨の前で泣いた。

 夏が来るたびに思い出す。もう二度と被爆者を生んではいけない。戦争というものは絶対にダメ。広島が最初で長崎が最後の被爆地にして欲しい。心からのお願いである。みんなには想像する力が一番大事だと知って欲しい。核兵器は想像する力によって生み出された。核兵器をなくすには何をしたらいいか想像を働かせて欲しい。考えて欲しい。尊い命を大切にして欲しい。〉

 時はとまらない。1時間が過ぎた。静かでよどみのない口調、伝わる思い。生徒達の心に残ったはず。伊達さんは、「また3年後に呼んで」と84歳とは思えぬ矍鑠(かくしゃく)たる足どりで九中体育館をあとにされた(写真2)。拍手がとまらない。

 お話を聴いて写真3生徒たちは教室に戻った。ある1年生の教室・・・思いを綴った。

 〇 私も姉がいるけど、その原子爆弾で家族を失ってどんなにつらいかって思うと伊達さんはすごいなって思います。皮膚がただれた人や水ぶくれなどを実際に何人も見たんだなと思うとゾッとします。下足室の前のパネルを見ただけでダメなのに、そういう方達が大勢いるというのが原子爆弾の怖さを表しているなと思いました。私のお母さんが小さい頃から言っていて、家族が1人でも出かけるときは、「行ってらっしゃい」を言って、家族みんなで見送って、帰ってきたらみんなで迎えようっていう意味が改めてわかりました。

 〇 私は伊達さんの「毎年夏になると思い出します」という言葉が心に刺さりました。私たちが楽しんでいる夏が、被爆者にとっては毎年苦しく思っていると思うと胸が痛いです。

 想像する力が一番大事 伊達さん