平和学習  爆心地  見学

 写真で学ぶ原爆と平和。(写真1)

原爆と平和展 パネル(写真2)

被爆パネルに向き合う。(写真3)

 12月5日に被爆体験者をお招きし人権平和講演会をおこないました。お話を聴く前に事前学習として核兵器の被爆について知り、核兵器が人類にとって「何が危険なのか」を理解するよう努めました。「平和学習」です。A棟2階廊下前には社会福祉協議会からお借りした「原爆と平和」パネルを展示し(写真1、2、3)原爆の悲惨さを目(ま)の辺りにしました。私たちは唯一の被爆国の人間として我々が被爆者の記憶を引き継いでいかなけれ平和学習ばなりません。

 この子を残して 永井隆さんの「この子を残して」をとある担任が読む(左写真)。うとうとしていた生徒の顔があがる。〈・・・うとうとしていたら、いつの間に遊びから帰ってきたのか、カヤノが冷たいほほを私のほほにくっつけ、しばらくしてから、「ああ、……お父さんのにおい……」と言った。この子を残して――この世をやがて私は去らねばならぬのか!

 母のにおいを忘れたゆえ、せめて父のにおいなりとも、と恋しがり、私の眠りを見定めてこっそり近寄るおさな心のいじらしさ。戦の火に母を奪われ、父の命はようやく取り止めたものの、それさえ間もなく失わねばならぬ運命をこの子は知っているのであろうか?〉一言も生徒たちはしゃべらない。浸っていた。わざと小さい声で読む。聴くためには、耳を声の方向へ集中させねばならないからだ。 担任「どうすれば子どもたちに伝わるかと事前に何度も読みました。音読をすることで父のおもいやカヤノのおもいを私も感じとれた気がします」

 先週の金曜日平和学習で永井隆さんの「この子を残して」を全クラスで読んだ。1945年8月9日午前11時2分長崎へ歴史上2発目の原子爆弾がアメリカ軍B29爆撃機から投下された。爆発の瞬間、放射能が放出され続いて猛烈な熱線と爆風が街を襲った。大勢の人たちが死に生き残った人たちも白内障や白血病、甲状腺がんなどの病気で苦しんだ。そんなことがあったのか。改めて知る人もいた。

 2年学級通信 「あかるく」より 

 原爆投下の被害、戦争が終わった後も被爆者の人々が体だけでなく心にも辛く苦しい思いを抱え生き続けていた姿を学びました。そのときにみんなに書いてもらった文章を一部ですが紹介します。こんなことにも気づいていたんだということもあるかもしれませんし、自分も同じ思いを持った人もいるかもしれません。

 ◎1つの大きな爆弾で、永井さんのような悲しい気持ちの人が数え切れないほどいたと思う。いつか戦争を知っている方がいなくなると思うけど記憶の中にずっとおいておかなければならないと思った。今でも中東の方で戦争が起きていると思うとまた悲しみを抱える人が大勢いると思う。戦争は決して他人事や遠い国で起きていることなどと考えてはいけないと思った。

 ◎いつの時代でも父親は父親なんだなと思った。この文章の1つ1つの言葉や書き方に愛する娘への思い愛情がこめられているような気がした。溢れてくる愛は自らの手や体で届けられずにいてしかも壁まで作って自分の腹のダイナマイトと戦っていた姿が悲しすぎた。もう1人の親―母がおりさえすればいろんな悲しみが重なってすごく重いものを背負わされていたのではないかと思う。悲劇の中、助かったからこその苦しみに悩まされているのが本当に辛そうだった。

記憶の中にずっとおいておかなければならないことがある。