学校給食1  学校給食

18日 学校給食第1号(写真1)

 学校給食行列(写真2)

25日 本日の献立(写真3)

 購買部~ アライブ &アライブ

 先週4月18日から学校給食がはじまりました。配膳室に届けられた弁当箱が生徒の手へと渡っていきます。初日の献立は、以下の通りでした。●ビビンバ●えびチリ●チョレギ風サラダ●さつまいもとレーズンの甘煮 牛乳は選択制になっており、お箸は各自で用意しました。

 学校給食開始 オープニングである。まっさらな配膳室に学校給食が運び込まれた。落成式?はなかったが1番に駆けつけた生徒には、栄誉ある学校給食第1号の弁当と牛乳が手渡された(写真1)。もう、誰にも破られることのない第1号の記録である。コンビニなどの新規開店ならここで、「豊中市立第九中学校○○殿 あなたが学校給食第1号の生徒さんです。おめでとうございます。」と大きな拍手がおこるのだが、ここ配膳室では特に拍手はおきなかった。その後次々に生徒達が列を作り(写真2)、学校給食を受け取っては去って行く。その数約60人。「並んで、並んで」と教員もその行く末を見守る。お向かいには迎え撃つ?購買部(別に争ってはいないのだが)が黙っていない(別にしゃべってもいないのだが)。パンやおにぎりを求める生徒が並ぶ(写真左上)。

 共存共栄 迎え撃つ?購買部は九中の歴史!と言っても過言ではない。食は万里にあり。いままでお弁当がない時の九中生や職員の胃袋を支えてきたのが九中購買部。あ!お昼を忘れた。「欠食」か。そんな時の強い味方が購買部のお姉さん?奥さん、沢田さんだったのだ。生徒の要望をていねいに聞き、学校と相談し健康面にも気配りを忘れずにパンの種類やおにぎりの種類等を充実させてこられた。

 商品が売り切れたときには、利益がまったくでないのにも関わらず、走る。コンビニまで仕入れに走っておられたのだ。沢田さん、九中に何年ぐらいお勤めですか?「1987年からです。えー。子どもが8歳で小学校2年だった・・・もう30年になりますか、あら嫌だわ・・・。」(奥さんは20年)、87年というと米ソがINF全廃条約に調印した年である。その頃から九中生にパンやおにぎり、いざという時の文房具を販売してくれていたのだった。感謝。感謝。20年以上も前に卒業した同窓生が証言する(現在38歳)。先日九中購買部を訪れ、「おばちゃん昔と全然変わらん(外見も内面も)」・・・つい懐かしくおにぎりを買っていった。

 そこへ※黒船来航!学校給食だ。お昼ご飯は、学校生活にとってある意味勉強より大切な時間である。学校給食は選択肢が増えたということで、歓迎しよう。今までお昼ご飯は、お家からのお弁当OR購買部で共存していたのだが、これからは学校給食とも共栄してね。アライブ&アライブ(英語ではこういう使い方はしない)である。「共存」は二つ以上のものが敵対することなく、生存したり存在したりすること、九中生&職員の協力があれば大丈夫。午前中4時間しっかり脳を使いおなかを減らせば・・・何を食べても美味しい。今日25日の学校給食の献立はエビ・かぼちゃ・ナスの天ぷらだった(写真3)。

 ※1853年浦賀に来航したペリー米国艦隊。幕府・国民に大きな衝撃を与えた。そこから比喩的な表現で大きな衝撃をもたらした時に使われる。

空腹は最高のソースである ソクラテス