松剪定1  松剪定2  松剪定3

築山:松のせん定(写真1)

B棟前斜面:松のせん定(写真2)

せん定後の松(写真3)

松剪定後 九中いたるところ私まつわあり

 体育大会を前に、2年に一度松の散髪をおこなっています。豊中シルバー人材センターの方が、10月8日から明日まで3日間(台風で1日延期)かけ、剪定(せんてい)してくださっているのです。今朝も職人さんが朝早くから散髪をしてくれていたので、通用門から登校した生徒さんは気がついたかも知れませんね。

 九中松原と松の廊下 九中通用門の緩やかな坂を登ると、道が右にワインディングロードする。そんなには曲がりくねっていないが左右に松の大廊下が出現、右手築山に約10本、B棟前の斜面に約20本現れる。松の廊下といえば、当然江戸城内にあった松の大廊下をあげなければならないだろう。

 今から、300年ほど前、この松の廊下で、赤穂藩主の浅野内匠頭(たくみのかみ)が、積年の恨み?「もうがまんできない!」と吉良上野介(こうづけのすけ)を斬りつけた。内匠頭は、「殿中でござる!」とまわりに制止されたが、上野介は傷を負う。今なら銃刀法違反に傷害罪が適用されるだろうが、当時江戸城内で刀を抜くのは、もう天と地が逆さになっても絶対許されない行為だった!当時の将軍は、歴史の教科書P132に登場される「生類憐れみの令」を出した五代徳川綱吉である。激怒した。犬をいじめても死罪になるのだから。内匠頭は、その日のうちに切腹を命じられた。・・・・で、赤穂浪士の討ち入りにつながっていく。が、もちろん九中の松原には、つながってこない。

 九中松原とシルバー人材センター 九中の松原とつながっていたのは、シルバー人材センターの職人さん達だった。九中いたるところに私まつわ。築山を中心に約30本!松のボサノバ、ボサボサした枝が職人さんを待っていたのだ。

 松のせん定には技術を要する。石の上にも三年ぐらいは修行を積む。もっとかも知れない。人材センターさんの技術レベルは4段階あって、松のせん定ができるのは、一番上のレベルの人だけだそうだ。特に九中の松は斜面に生えているので、脚立を立てるのが難しい、より熟練した技術がいる。職人さんはしっかりと脚立の足を安定させロープで固定する。脚立をするすると登り、松けんサンバもボサノバの音楽も鳴らないが、ぼさぼさに伸びた松を、カットしていく(写真1,2)。大ばさみ、きばさみを匠が巧みに操り、松は刈ットされていった。

 それもむやみやたらにカットしているのではなく、古い芽を抜いて、育ち盛りの芽を残しているのだった。プロである。若い芽に均等にお日様が当たるようにも考えている。だが、カットされた葉はどこへ行くのか?松の木のたもとには、これでもかと落ちた葉がたくさん、どうしようもない。心配無用である。松のたもとには石の上に3年を目指す方がおられ、刈られた葉を手際よく集め袋詰めにされていた。袋が山のように積まれる(写真3)。松のせん定は誰かの仕事でできていたのだ。こうしてカットされた松は、松の木びっくり、すっきり。もうぴーん!と活きがいい。天高く松映える秋(写真左上)となった。

 保護者の皆さま 虹の松原・三保の松原・気比の松原の三大松原(天橋立をあげる時もあるらしい)は人口に膾炙(かいしゃ)していますが、九中の松原も負けていません。その次にはあげられます。第46回体育大会へお越しの際にご覧いただけたらと思います。

天高く松映える秋 シルバーさんのおかげです。