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立つ鳥跡を濁さず(写真1)

立ったあとも注意喚起・・・。(写真2)

翌日 きれいになってる。(写真3)  

ぺんき7ペンキぬりました!(次の日)   

 ペンキ塗りの翌日15日です。昨日は色あせた水色。今日は鮮やかなクリーム色に変貌した壁です。昨日の夕刻、ブルーシートやら、ペンキの缶やらがあちらこちらに散乱していました。そこは、立つ鳥跡を濁さずの九中ペンキ隊です。チームワークよく撤収もはやい(写真1)。通行する人が触れないよう「ペンキ塗り立て注意」の札も数カ所に張り(写真2)、ペンキ隊は撤退、明日に期待しました。地域の方々にこの80m壁はどのように写るのだろう。一夜にして変わったこの壁は(写真左)。

 墨俣一夜城(すのまたいちやじょう) 一夜にして変わったこの壁?と言えば「墨俣一夜城」である。時は戦国時代。全国統一に向け東西の交通の要衝が、美濃(今の岐阜県)であった。ここは斉藤氏が支配している。天下布武を旗印にした戦国の雄、尾張(今の愛知県)織田信長にとっては、のどから手が出るほど欲しいよ、の土地だった。だが斉藤氏は手強い。美濃でお家騒動が勃発。そこで攻める信長、稲葉山城にこもる斉藤氏。信長が美濃攻めを繰り返すも、城は落ちない。「こりゃいかんわ」敵を落すには、美濃国内に足がかりをつくる必要がある。つまり敵の陣地に城を築くのだ。そこで墨俣である。その場所は、稲葉山城から10kmほど先。むろんそこは敵地なので、城を築かせまいと斉藤氏も必死で抵抗する。信長の命をうけた武将たち(佐久間信盛や柴田勝家)が試みるが失敗。そんな中、「おまかせを!」と手を上げたのが木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)だった。で、あの手、この手、軍師官兵衛の手もたぶん借りて、一夜にして完成させたのが「墨俣一夜城」である。ある日突然現れた墨俣城を前に斉藤氏は茫然自失!目を丸くし、目は丸いけどもっと丸くして驚いたことだろう。なにせ、朝起きたら目の前に突然、城があったのだから。参考:絵本太閤記 

 九中一夜壁(きゅうちゅういちやかべ) 九中から千里に向け東西南北の通行の要衝が、通用門前であった。ここは九中が支配している(支配していません)。通勤、通学に使われる道である。朝起きて、通勤、通学したら、いつも通る目の前の門や壁の色が、一夜にして変わっていた。教科書やノートをひろげながらうつむき登校する九中生。最後まであきらめない気持ちは立派だが、危ないぞ。通用門に吸い込まれていく。気がつく。あれっ、きれーーーになってる。誰が塗ったんやろ?豊中市かな。

 中間テストが終わった。終礼で、2年生のあるクラスで担任の先生が、生徒に声をかけた。「朝、通用門をとおる時、何か変わっていなかった?」4、5人の手があがる。壁がきれいになっていた。素敵。九中リスペクト!と次々に声あがる。「あれは昨日、君たちが帰った後、PTAの方々が塗ってくださったのよ。」変化に気がつく午後12時過ぎ、お向かいの高校生が壁の横を通って下校する。壁に気がつく。「豊中市が塗ったのかな?」「結構汚れてたからな」校区の小学校の児童達が通る。社会見学の帰りだそうだ。「ペンキぬったん?」(写真3)散歩されている地域の方がつぶやく。「明るくて気持ちいいですね。」通学路の壁が、クリーム色で明るくなったことは、おおむね好評だった。夜も明るい。安心・安全にもつながったようだ。ほっ。 

 PTA運営委員代表「本当に、用務員さんがてきぱきしてくれて。前日までに壁の汚れを落とし、当日は、前用務員さんが手際よくブルーシートやマスキングを準備してくださりありがたかったです。私はペンキを発注したのですが、何色にするか悩んでいろいろな方に相談し、アドバイスをいただき、数あるクリーム色の中から、暖かみのあるクリーム色にしました。ちょっとピンク色も入っているんです。無心になって塗って、おしゃべりして、きれいになっていく。屋外なので臭いもなく開放的!みなさんと楽しく塗ることができました。塗るまで、どんなイメージになるかわかりませんでしたが、地域の方に喜んでいただけたら嬉しいです。 

   地域とともに 第九中学校